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 『FIGUEROA』 - 2010/11/01(Mon)

今日、何年かぶりに、
ちょっと緊張した佐藤です。

このブログを読んでくださっている人は、
ご存知だと思いますが、
僕はほとんど緊張しません。
子供頃は本当に緊張しぃでしたが、
様々な経験をして、
緊張しない方法を考え出しました。
緊張しない方法については、
いずれ書くとして、
今日緊張した話題です。
やっぱり他局の番組に出演するのは緊張します。
今日初めてエフエム新潟さんの番組に、
電話で出演しました。
これは県内コミュニティーFM局10局が、
毎週1回電話で出演し、
地域の話題などの情報を提供するコーナーです。
10局ですから2ヶ月に1度当番が回ってきます。
通常は業務放送部の女子アナが出演するのですが、
今日は健康診断の日に当たり、
女子アナ達が出演できなかった為に、
業務営業部の僕にお鉢が回ってきました。
今回出演させていただいたエフエム新潟さんの番組は、
昼の番組FIGUEROA。
パーソナリティはミノル・クリスさん。
打ち合わせは本番40分前にほんの1分間ほど、
電話で簡単にやっただけでした。
僕のネタは今週末キナーレで行われる『そば祭り』について。
上手く伝えられたかどうかは、
実際判断つきません。
4分間の持ち時間のうち、
最初の2分半をミノルさんとの、
雑談に費やしてしまいました。
その後、なんとか情報を話しましたが、
結局最終的に6分間くらいになってしまいましたから。
ミノル・クリスさんご迷惑をおかけしました。
とは言え、
代打出演の僕がFIGUEROAに登場するのは、
今回が最初で最後。
お許しくださいm(_ _)m

では…。


 『都会から若者が移住する村』 - 2010/11/06(Sat)

プロ野球日本シリーズは、
名古屋ドームで、
大変なことになっているみたいですね。
中日ドラゴンズvs千葉ロッテマリーンズ。

ラジオで聴いていますが、
まさに死闘です。

さて、池谷・入山の収穫祭に行ってきました。
取材兼夜の懇親会参加です。
池谷に関わってもう4年半が経ちました。
今日は旧池谷小学校体育館が改修され、
体育館で百数十人が参加し行われました。
国際NGO JENさんも来ました。
そして都会からボランティアの若者も来ました。

中越地震後、人口15人の池谷に、
若者が3人移住してきました。
プラス2歳の男の子も1人。(3人の内2人は夫婦)
そして今日の収穫祭で正式に発表になりましたが、
来春2人の若者が池谷に移住してきます。
高齢者ばかりの池谷に、
中越地震後5人の若者プラス2歳の男の子。プラス来春で帰りますが、
農業研修で2年半若者が住んでいます。
先にも書きましたが、
中越地震前は15人の限界集落だった十日町市池谷。
この池谷に移住したい若者は、
都会にまだまだいます。
とにかく凄いことです。
ここまで都会の若者に愛される池谷。
その理由はいったい何なのか!?
皆さん知りたくありませんか?

ぜひ1度、池谷に行ってみてください。
きっとビックリする理由が見つかるはずです。

行ってわからなければ、
佐藤に聞いてくださいね。

では…。

あっ!中日とロッテは引き分けた。


 『松平健さん』 - 2010/11/16(Tue)

久しぶりのブログとなりました。
このところ気持ちに余裕がなく、
なかなか書くことができませんでした。

さて、僕は昔東京でプロの舞台役者をしていました。
劇団の大先輩には、
松平健さんがいたのです。
とは言え、僕が劇団に入った頃は、
松平健さんは劇団を離れ、
暴れん坊将軍でスターになっていたので、
直接お会いしたことはありませんが、
やはり尊敬する大先輩でした。
松平健さんの奥様が亡くなり、
今日はワイドショーで報道されています。
松平健さんは、博多で舞台の最中。
奥様の訃報を聞き、
博多から東京の自宅へ行き、
4時間滞在してまた舞台のある博多へ戻られたようです。
松平健さんや僕が所属していた劇団では、

『役者は一度受けた仕事は最後まで責任を持ってやる。役者が舞台に穴をあけること(舞台を休む、降板すること)はあってはいけない。親が死んでも舞台を降りるな。役者である以上、親の死に目に会えると思うな。』

と教えられました。
一般人から見たら非常識なことかもしれませんが、
これがプロの役者の世界です。
今回の松平健さんの行動を知り、
松平健さんの中に、
若き日に劇団で叩き込まれた”役者魂”を見ました。

僕にもまだ、
大先輩・松平健さんと同じ、
”役者魂”が残っています。
松平健さんの役者としての…。
仕事に対する姿勢が見えました。

松平健さんの奥様のご冥福をお祈りいたします。


 『予備機』 - 2010/11/23(Tue)

このところエフエムとおかまちは忙しく、
加えて株主総会などもあり、
なかなかブログを書く気になれなかった佐藤です。

今日は勤労感謝の日祝日です。
珍しくお休みですが、
川西の千手中央コミュニティーセンターで行われているイベント。

『めっかめっか2010』

を取材に行ってきました。
ORADOKO用の取材です。
以前も書きましたが、
最近はマイクより、
デジタルカメラを持って取材に行くことのほうが多いです。
昨日も交通事故の取材をして、
トオカマチ☆ウェブORADOKOに記事を書きました。
ほとんど新聞記者のような取材活動です。
で、今日の取材。
取材先の千手中央コミュニティーセンターについて、
デジタルカメラの電源を入れると、
電池切れで作動しません。
かなり焦りましたが、
すぐに予備の小さなデジタルカメラに切り替えて、
取材撮影を済ませました。
予備用にいつも小型デジタルカメラを持っていて、
助かりました。
最悪予備用のデジタルカメラが無くても、
携帯電話のデジタルカメラがあるので、
3段階の体制で写真が撮影できます。
とは言え、一眼レフのデジタルカメラの電池切れは、
本当に反省です。

午後からは久しぶりに家でゆっくり過ごします。

では…。

〜追伸〜
小雨でも『めっかめっか』は盛況でした。


 『ラジオドラマ完成』 - 2010/11/29(Mon)

ついに、大河ドラマ『龍馬伝』が最終回でした。
寂しい限りです。

龍馬伝の話しはまた後日として。
今日はラジオドラマの話しです。
昨年の今頃は、
ラジオドラマ『クリスマスリレイヤー』を、
連夜収録中でした。
あの時に出演してくれたメンバー。
ぼっちゃん、総司令、キャラメルさん、シゲル君が再結集して、
新しいラジオドラマを作りました。
タイトルは『キズナ』です。
独立行政法人防災科学技術研究所が、
『第1回防災ラジオドラマコンテスト』
で、防災をテーマに、
ラジオドラマ脚本と、
ラジオドラマを募集しています。
締め切りは今日11月30日なんです。
ギリギリ昨日応募して間に合いました。
今回も昨年のクリスマスリレイヤーの出演者、
ぼっちゃん、キャラメル、シゲル、総司令
の4人を中心にお願いしました。
僕は元々舞台台本を書いていました。
だから、90分間とか、120分間の尺で書いていましたから、
今回の防災ラジオドラマコンテストの規定、
7分間以内には苦労しました。
役者で参加した4人にも、
演技上では感情の他に、
7分間に収まるスピードの演技を求めました。
なんとか、
感情とスピードのギリギリの部分で、
表現できたと思います。
狙いは最優秀賞!
だってストーリーは、
中越沖地震の時に、
柏崎市で経験した実話なのです。
(このブログの何処かにも書いた記憶が…。)
実話に勝るストーリーはないでしょう。
放送予定はまだ未定ですが、
放送が決まったら、
ラジオやブログでお知らせします。

では…。


 『プロの演出家&脚本家』 - 2010/11/30(Tue)

いよいよ明日は、
実写版『宇宙戦艦ヤマト』
映画『SpaceBattleShipYAMATO』
の公開日です。
リアルタイムで宇宙戦艦ヤマトを観て、
熱狂した世代としては、
こんな嬉しいことはありません。
1日も早く観たいと思っている佐藤です。

さて、昨日防災ラジオドラマコンテストに、
『キズナ』と言う7分間のラジオドラマを応募した。
と言う話しを書きました。
これが、ドキュメンタリー番組『心に太陽を』を、
かつてギャラクシー賞に応募した時と、
状況が似ているのです。
ギャラクシー賞の時も、
バタバタ忙しく、
応募できたのは、
やはり締め切り当日だったと記憶しています。
今回もブログが書けないほどバタバタで、
ラジオドラマ応募は当日でした。
それともう一つ共通しているのは、
僕自身が作品をとても気に入っていることです。
審査結果は来年1月17日です。
何かの賞に入ってくれたら嬉しいのですが…。
今回ラジオドラマを作って気がついたのですが、

『ラジオドラマを仕事として作っていると言うことは…脚本と演出をしている…と言うことは、ある意味、僕はプロの脚本家でプロのラジオドラマ演出家ではないのか!?』

と言うことです。
こりゃビックリです。
今の今まで気がつきませんでした。
役者としては昔プロの舞台役者だった時代がありました。
しかし、脚本と演出は、
自分で創った劇団でのものでしたから、
芝居を創る姿勢や気持ちはプロでしたが、
正確にはアマチュア脚本家でアマチュア演出家でした。
しかし今は仕事として脚本を書き、
仕事としてラジオドラマを演出している。
知らない間にプロになっていました。
これはとても嬉しいことです。

『映画監督と映画の脚本家になること』

が、子供の頃の一番の夢でしたから、
ラジオでプロの演出家と脚本家になれたのは、
本当に嬉しいことです。
このチャンスを与えてくれた、
エフエムとおかまち…会社には感謝です。
なんとか年に1本はラジオドラマを創りたい。
と思っています。
今回の防災ラジオドラマも、
近々に皆さんに聴いていただけるようにしたい。
と思います。
もうしばらくお待ちください。

では…。



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