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 『お聴きいただきありがとうございます。』

2009/05/02(Sat)

今日は、ラジオアシスをお聴きいただき、
ありがとうございます。
毎回、聴いていただける皆様には感謝していますが、
今日は特に感謝したい気持でいっぱいです。
放送を聴いていただいた方だけは、
こんの文章の意味を理解していただけると思います。
詳しく書けなくてすみませんm(_ _)m
文章では残したくない気持や、
様々なことがここ数日ありました。
今日ほど魂を込めて番組を放送したことはなかったかもしれません。
そんな放送でした。

先日、あるリスナーさんから

『人の命をどう考えるか?』

と言う質問をいただきました。
僕は命に大きいも小さいもないと考えています。
命には、その人の地位も名誉もお金も関係無く、
長く生きた命も、
短く生きた命も、
今生き続けている命も、
亡くなってしまった命も、
等しく同じで、
それはまるで粒の揃った真珠のネックレスのように、
輝き連なっているのだと考えています。

亡くなられた命には手を合わせ、
生きている命には声援を送り応援する。
僕はあまり宗教を信じてはいないですが、
命に対しては、そんな風に思っています。
大切なのは、
命を敬い、愛しむ心だと思っています。


さて、人生には様々な事が起きます。
毎日同じように過ごしていても、
ある日突然不幸が襲ってくる時もある。
その不幸は避けようがないのかもしれません。
でもそんな時。
その不幸に負けない事はできるかもしれない。
立ち向かう勇気さえ失わなければ、
いつか必ず復活できると信じていれば、
不幸を撥ね退ける事ができると思うのです。
そして、そう言う人を応援するのが、
本来のメディアの在り方だと思うのです。

最近のメディアは、
批判と非難ばかりをしいるように思います。
誰かの失敗を批判し、
誰かのスキャンダルを毎日取り上げ、
刺激的に報道することで、
人々の関心を得ようとしている。
ラジオと言う、
やはりメディアの中にいる僕にさえ、
そんな風に見えます。

ネットが発達した事で、
誰しもが公の場(ネット上)で意見を発表できる。
このことは素晴らしい事だけれど、
時には匿名で誰かを批判したり、
誹謗中傷できてしまう。
様々なメディアが、匿名性と言う安全ゾーンの中で、
日々、誰かを非難しているように思えてなりません。

匿名性の裏には、

『自分の意見だけが正しく、その他の意見は間違っている。』

と言う考えが見え隠れしています。

自分の考えを書き込めば・・・。
自分の意見だけ発表できれば・・・。
自分の意見が通りさえすれば・・・。

そうではないと思うのです。
発言には責任が伴います。
誰かを批判するなら、
そこには責任が伴うはずなのです。

僕がラジオで話す事や、
僕がラジオで放送する内容には、
エフエムとおかまちと言う会社の責任も伴いますが、
佐藤広樹と言う、番組を企画放送する僕自身の責任を伴います。
様々な人の意見や発言が飛び交う生放送の番組です。
ラジオアシスなら、4時間の生放送です。
そこには必ず責任が伴っています。

何が言いたいかと言うと、
僕は、ラジオ放送を通じて、
責任を持って、頑張って生きている人を応援したいと言う事です。
数あるメディアの中でも、
ラジオはそれができるメディアだと思っています。
だから僕はラジオが好きなのです。
正義を振りかざし、批判や非難ばかりするメディアは今とても多い。
まるで自分がウルトラマンか仮面ライダーにでもなったかのように、
正義と言う名の批判と非難を続けています。
でも、そうしたメディアが責任をどれだけ持っているかは疑問です。
なぜなら、自社の社員にはあまり批判的意見は言わせず、
コメンテーターや解説者と言う、
社外の人間に批判や非難を言わせている事が多い。
これは、社員に問題発言をすれば困るけれど、
社外の人間が刺激的な発言をして、
注目されればOK!
それが問題になったら、発言したコメンテーターや解説者を挿げ替える。
これは驕った見方かもしれないけれど、
安全ゾーンにいる人が、
人を非難でる今のシステムには、疑問を感じます。

そして今日、勇気を持って番組に登場してくれた人。
そしてその人を支えてくれた人。
勇気を持って登場してくれ人を、
応援に駆けつけてくれた人達。
そんな皆さんに今日は感謝します。
そんな人達の想いに、
僕は番組で涙しました。

そして・・・。
冒頭にも書きましたが、
今日の放送をお聴きくださった皆さん。
本当にありがとうございました。
感謝、感謝です。

では・・・。




佐藤広樹



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