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 冷静に行動を - 2007/07/16(Mon)

今日午前10時13分に発生した地震で、
十日町市内では大きな被害はなかったようです。
このブログをご覧の十日町市外で、
十日町を心配してくださっている皆様ご安心ください。
そして、市民の皆様冷静に行動してください。
午後17時の十日町市防災対策本部の情報では、
十日町市内で一時、水道管破裂で数十戸ほど断水しましたが、復旧しています。、
家屋の一部損壊は36棟。
そして軽症者が7名。内60歳以上の高齢者が5名。
小中学校では、一部ガラスや壁が破損したようですが、
今日は祝日の為、児童、生徒、職員に被害はなかったようです。
明日は市内の保育園、小、中学校は休まず授業が行なわれます。

いずれにしても、冷静に行動してください。



 被災された皆様にお見舞い申し上げます。 - 2007/07/17(Tue)

昨日は、通常の休みだったのですが、
地震発生を受け、緊急出勤した佐藤です。
地震発生時、車を運転していて、
車があまり揺れるので、
パンクしたか?大風でも吹いたか?と思い、
一瞬、状況が理解できませんでした・・・。

そして佐藤は、十日町市役所内に防災対策本部が立ち上がったので、
防災対策本部に張り付いて情報収集をしていたのでした。
田口市長をはじめ、市役所の職員の皆さんも全員出勤しての情報収集でした。
お疲れ様です。

十日町市防災対策本部からの情報では、
昨日、十日町市内で一時、水道管破裂で数十戸ほど断水しましたが、昨日のうちに復旧しています。
そして軽症者が6名。内60歳以上の高齢者が5名。
家屋の一部損壊が36棟。
小中学校では、一部ガラスや壁が破損したようですが、
昨日は祝日の為、児童、生徒、職員に被害はなかったようです。
今日は市内の保育園、小、中学校は休まず授業が行なわれます。
十日町市からは、柏崎市に消防本部から5隊、18名の隊員が支援に向かいました。
物資も、とりあえず水2リットルが3,000本。
トイレットペーパー600個。
毛布300枚が送られるようでした。
※午前7時現在の情報です※

その他、いろいろな情報がありましたが、
主な被害は以上ようでした。

エフエムとおかまちでも、
休日の職員も全員緊急出勤して、
情報収集と、情報の放送に努めました。
当初、職員も緊張で慌てていましたが、
ほどなくして落ち着きを取り戻し、
冷静に対応できたと思います。
やはり、災害時には、冷静な行動と、
正確な情報収集が求められます。
そして、僕達が最も気をつけたのが、
落ち着いた声で放送する事でした。
ラジオから聴こえるアナウンサーの声が落ち着いていたら、
聴いてくださっているリスナーの皆さんも、
落ち着いて行動してくざると信じて放送していました。
少なくとも危機感を煽る、
恐怖感を煽るような放送だけは、
絶対にしてはいけません。

とにかく、今後は余震や、
地震と雨による土砂崩れ
そして、避難生活によるストレスや、
エコノミー症候群による2次災害が起こらない事を祈るのみです。
※今日現在、十日町市内での避難者はいないと思われます※

柏崎市をはじめ、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

そして、今後余震などある可能性もありますが、
冷静な行動をお願いいたします。


 柏崎へ - 2007/07/19(Thu)

月曜日に発生した中越沖地震の対応、報道に追われている佐藤です。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様へ、心よりのお見舞いを申し上げます。

このエフエムとおかまちのある新潟県十日町市は、
3年前の中越地震の被災地でした。
今回の中越沖地震では、被害もありましたが、
不幸中の幸いで、比較的小規模の被害に止まりました。

さて、一昨日、7月17日火曜日に、
地震から一夜が明けた最大の被災地、柏崎市へ行ってきました。
目的は、同じコミュニティーFM局・FMピッカラさんに、
水と食料などの支援物資を届ける為でした。
そして、個人的には、柏崎の親戚の老夫婦が連絡がとれなくなったので、
親戚を探し、やはり水と食料を届ける為です。

市内のドラッグストアーで、
支援物資である水、カップ麺、卓上コンロとガスボンベを購入し、
十日町市から旧高柳町に入り、
国道252号を柏崎市に向かって午後1時30分頃出発しました。
国道252号沿線は、停電で、コンビニも真っ暗。
信号機も消えていました。
信号機は消えていても、交通量は普段の数倍にもなる為、
信号機の消えている交差点には、
交通誘導の警察官の姿も無く、
ドライバー同士が目で合図を送り合い、
事故の無いように交差点を渡っていきます。
その為、車の進みはゆっくりしたものでした。
幸い、国道252号沿線はそれほど大きな被害を目にする事はありませんでした。

そして、柏崎の中心部、市街地に近づいていくと・・・。
電気は復旧している様子で、信号は作動していました。
しかし・・・。
柏崎市の市街地に近づくにつれ、
倒壊した家や、壁が落ちた家、コンクリートの塀が崩れ落ちたり、
歩道のブロックが浮き上がり散乱していたり、
カーディーラーの店舗の大きなショーウィンドウのガラスが、全面割れ落ちていました。
道路自体も、亀裂が入り浮き上がった場所や、
マンホールの周りが陥没し、マンホールが浮き上がり、交通の妨げとなっています。
時々ある消えた信号機の交差点には、
警察官の方々が交通整理をしていましたが、
国道も路地裏も大渋滞しています。
大渋滞の中、県内外の警察車輌や機動隊車輌、
柏崎市以外の市町村の消防車輌、
自衛隊の車輌も、師団名が県内外のものがありました。
NTTの車輌、東北電力の車輌や電気関係の会社の車輌、水道関係車輌、
柏崎市や、他の市町村の行政車輌、国の機関の車輌、
そして僕のようなマスコミ車輌。
市内住民の車輌や、長岡ナンバー以外の県内外のナンバーの車輌もありました。

市街地に入ってから、
中心商店街にあるFMピッカラさんまでは、
通常10分〜15分で到着することろを、
大渋滞で1時間以上かかりました。

渋滞の中、ラジオでずっとFMピッカラさんの放送を聴いていましたが、
各アナウンサーが冷静にシッカリと、
柏崎市内のきめ細かな情報を流していた。

やっとの想いでFMピッカラさんに到着すると、
FMピッカラさんの社屋の入り口から歩道にかけて、
10センチほど陥没していました。
それでも、FMピッカラさんは市民の為に放送を続けておられました。
その姿に、同業者ながら感動しました。
水とその他の支援物資を届けると、柏崎市役所に向かってみました。
途中、市民の方にお話しを聞くと、
やはり電気が復旧した市内中心部でも、
上下水道は復旧せず、
トイレやお風呂、飲み水に困っているとの事でした。
市役所に行ってみると、狭い柏崎市役所周辺の道路に、路上駐車の車がいっぱいでした。
(柏崎市内での路上駐車は絶対にやめてください。)

結局市役所には辿り着けず、
渋滞の中路地を行くと、
全壊した家屋や、沈下した歩道、その為に10センチは浮き上がってしまったショッピングセンターなどが目に入ってきます。
それでも、市民の方達は冷静に落ち着いて行動している様子に、少しホッとしました。

その後、ウチの放送局長の許可を得て、
柏崎市内で、昨日から連絡の取れない親戚宅へ・・・。
ウチの死んだ祖父の兄弟、叔父さんの宅へ。
希望が丘に向かう途中の道も、マンホールが浮き上がり、危険な状態。
22年ぶりで行く叔父さんの家は、
うっすらとした記憶だけが頼り・・・。
途中、工務店で道を聞くと、親切にも希望が丘まで、
軽トラで先導してくださいました。
その他、希望が丘で住民に道を聞くと、
住宅地図を出してきて教えてくださいました。
柏崎市民の皆さんは、自分達が大変な時でも、とても親切です。
これにも感動しました。

そして親戚宅に辿り着くと、
石でできた立派な門柱も倒壊し、悲惨な状態に・・・。
幸い家は被害を免れたようでした。
家の玄関に立ち、叔父さんを呼ぶと、
80歳を超えた叔父さんと叔母さん、そして息子さんが出てきました。
元気そうだったので、本当にホッとしました。

叔父さん、叔母さんに支援物資を渡し、
一番困っている事を聞くと、
やはり水が無いのが困っている。との事でした。
トイレを流すのにも苦労しているし、
風呂にも入れないのが辛いと言ってました。

その後、国道8号を通り上越を抜けて帰るルートを選びました。
その方が早いかもしれないと想ったのですが、
国道8号も大渋滞。
結局上越に抜けるまでに3時間かかってしまいました。

柏崎に行ってみてわかったことですが、
途中断水でトイレも使えない状態と、
思っているり運転に緊張を伴う為に、
運転の疲労度も凄いものとなりました。
そして、長時間車の中でクーラーに当たる為、
体調もどんどん悪くなっていきました。

渋滞の原因にもなるので、
今は安易に柏崎市内に入らない事をおすすめしますし、
もし行くなら、道路状況と、体調に気をつけて入ってください。

では・・・。


 高野千恵さん出演 - 2007/07/21(Sat)

今週は中越沖地震関連の報道の仕事や、
会議や勉強会で、本当にいろいろな所に行きました。
一日も早く、余震が終息し、
被災者の方の生活が、元の状態に戻る事を祈るばかりの佐藤です。

さて、中越沖地震での風評被害が広がっているようです。
十日町市でも宿泊施設や観光施設にキャンセルがあったり、
新潟県全体でも宿泊施設や観光施設へのキャンセルが拡がってしまっています。
十日町市に関しては、最小限の被害でしたし、
できるだけ、全国の皆さんに来ていただきたいと思っています。
また、観光で新潟県を訪れていただくだけでも、
復興への協力にもなりますので、
この夏は、ぜひ新潟県や十日町市へ訪れてください。

そして、この日記を読んだ人は、
県外の友人、知人、親戚などに、
「新潟県に安心して行ってみて」とか「新潟に観光に行くのも、1つの復興支援だよ。」と言ってください。
1人1人が新潟県や、十日町市のアピールをしていけば、
風評被害は防げるはずですから。

さて、今日のスタンド・バイ・ユーは、
震災関連の情報や、メールの内容も震災絡みの内容だったりと、
いつもの番組とはちょっと雰囲気が違っていました。
その雰囲気を明るいものにしてくれたのが、
6月20日「海と潮風」でデビューした高野千恵さんでした。
十日町市出身の高野千恵さんは、
昨日、キナーレで行なわれたイベントで歌を歌っていました。
デビューちょっと前から知っている僕は、
あつかましくも、スタンド・バイ・ユーへの出演をお願いしに行きました。
ライブが終わると、快く出演を承諾してくれました。

そして「come on みゅーじっく」の内容を変更し、
急遽高野千恵さん生出演となりました。

午前10時30分から出演の高野さんとは、
まったく打ち合わせなしに喋りはじめました。
喋りはじめると、高野さんはとても頭の回転の速い人だとすぐに感じました。
僕が繰り出すくだらい冗談に、
次々とボケてかわしたり、
突っ込んだりしてきます。
打ち合わせなしで、ここまでくいついてく人は珍しい。
完全に番組の空気を読みきってトークしてくれいます。
ここまで食いついてくる歌手を僕は知りません。
そのボケや突っ込みも、
僕の取りたい所へ投げてくる。
歌手にしておくのはもったいない喋り手です。
とても気持ち良くインタビューできました。

高野千恵さんや、高野さんの事務所の社長さんにも言ったのですが、
「高野千恵さんは、ラジオで番組を持つべきです。できれば、深夜放送で。」

高野千恵さんは、もしかすると深夜ラジオから火が点くかもしれませんよ(^_^;)

高野千恵さん、事務所の社長さん、スタッフの皆さん、
ありがとうございました。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!



 頑張っているFMピッカラさん - 2007/07/24(Tue)

22日日曜日に、柏崎市のコミュニティーラジオ局・FMピッカラと、
全国コミュニティーFM協会JCBAのJCBA信越協議会の要請を受け、
柏崎市のFMピッカラさんに、支援に行ってきた佐藤です。
ちなみに、21日土曜日は大手恭子アナが行ってきましたし、
この後も、県内のコミュニティーFM局の局員が行っています。

21日(土)と22日(日)は、エフエムとおかまちと、上越市のFM-Jさんからの派遣でした。

22日は、いつ雨が降ってもおかしくないくらいの、
重たい鉛色の雲が空を覆っていました。
車で行くと、柏崎市内の渋滞を引き起こす車の1台になりかねないと思ったのと、
渋滞を避けて市内中心部にあるFMピッカラさんに行く為(FMピッカラさんは被害が大きかった東本町にあるのです。)と・・・。
車で行くと、渋滞にひっかからないように、FMピッカラさんが途中まで向かえに来てくれるので、
忙しいFMピッカラさんの手を患わせたくなく、
僕の50ccの愛車、原チャリ・スナッフィー号で行くことにしました。
市内は中心部に入る所に警察官が立ち、
市内への車のむやみな乗り入れをしないように呼びかけていました。

FMピッカラさんには、約束の時間9時の15分前に到着、
FMピッカラさんの数人の社員さん達の顔には、
さすがに疲労の色が見て取れました。
それでも、マイクの前に座って、ラジオを通じて市民に呼びかける声には、疲れを感じさせるものは微塵もなく、
被災した市民へ情報を伝える使命感と、
アナウンサーとしての"プロ意識"がヒシヒシと伝わって来ました。

僕とFM-Jの田所アナの仕事は「電話対応」と、
市民の方が無料配布のラジオを取りに来られた時の対応です。
FMピッカラのスタッフの方は、
「電話を取ってもらうだけでも、他の仕事ができてありがたい。」
と言っていただきました。
実際、電話の内容も、かけてきてくださる人も様々でした。
柏崎市民の方はもちろん、国の機関、県の機関、柏崎市役所、自衛隊、いろいろなマスコミ、県外の一般の方などなど・・・。
確かに、電話対応だけでも相当の時間を取られてしまうのと、相当な労働です。
それでもこの土日は、今までと比べると、
かなり電話の本数も減少してたいるようでした。

その電話の中で一番多かったのが、

「柏崎市内で営業しているコインランドリーを教えてください。」

と言う問い合わせでした。
残念ながら柏崎市内は水道も完全復旧していなくて、
下水道も機能していない所もあり、
コインランドリーは営業していませんでした。
でも、よくよく考えてみたら、地震発生から6日目となり、
しかも夏場の避難生活や復旧作業や片付け・・・。洗濯物が増えて当たり前。
そろそろ着る物だって底をつく時期です・・・。

そこで、僕は十日町市の災害対策本部に電話で、
十日町市内で営業しているコインランドリーの情報提供をお願いしました。
日曜日にも関わらず、十日町市役所災害対策本部は、
すぐに対応してくれ、コインランドリー情報をFMピッカラにFAXしてくれました。
これにはFMピッカラのスタッフさんも、
「十日町市は対応早いね。」
と喜んでくださり、早速放送してくださいました。
そこでFM-Jの田所アナにお願いして、上越市内のコインランドリー情報を上越市役所から送っていただいたり、
僕が長岡保健所にお願いして、長岡市内のコインランドリー情報を送っていただきました。

十日町市役所、長岡保健所、上越市役所の担当の皆様、ご協力ありがとございましたm(__)m
柏崎市民の皆さんに喜んでいただきました。

そして、佐藤はピッカラの大矢社長とともに、
ピッカラさんの入り口付近にブルーシートを張りました。

そして炊き出しをもらうためと、情報収集のため、
昼と夕方、柏崎小学校や柏崎市役所、各配給所、
そして東本町でも被害が大きかった"えんま通り"をはじめ市内を見てきました。
これはもう、テレビで見るより凄い状況のところもありました。
でも、感動したのはそんな状況でも、
柏崎市民の皆さんは、冷静に行動されていたり、
助け合っていたりした事でした。

そして何より感動したのは、食事の配給に並ぶ人の列が、
いつも整然と列を成していたことでした。
誰も不平を言わず、列に割り込む人もなく、
キチンと順番を守り並んでいる。
並んでいる途中で配給のお汁が無くなり、他の列に移る時も、
指示に従って、列の後ろに並ぶ・・・。

本当に「日本人って偉いなぁ。凄い民族だなぁ。」と思いました。
こんな非常事態です。
中には列を乱す人や、不平不満を言う人がいても不思議はありません。
日本以外の一部の国で、こういう非常事態が起きたら、
きっとこんな風にはいかないでしょう。
暴徒化した市民が、商店街やショッピングセンターを襲う。こんな映像をテレビで見た事があります。
そう言う意味では、日本人の素晴らしい姿を見た気がしました。

いつ終わるか判らない災害が、地震です。
それに立ち向かう、柏崎はじめ、被災した各市町村の市民の皆さん、
そして、FMピッカラ、もう1局、臨戦態勢で放送を続けるFM長岡さんに、
エールを送るとともに、尊敬の念を感じる佐藤でした。


 41回目の誕生日 - 2007/07/25(Wed)

今日41回目の誕生日を迎えました。
41年前の午後6時頃、自宅で産まれたのだそうです。
産まれてからすぐには泣かず、
深夜0時をまわったあたりから泣き始め、
朝まで泣いていたそうです。
ですからお袋には・・・。

「お前は、産まれた時から親不幸だった。」

と言われています(笑)

41歳ともなると、誕生日もさして嬉しくもなく、
ちょっと気恥ずかしい感じで・・・。
なんだか、よく41年間無事に生きてきたなぁ・・・。
と思う次第です。
それほどに僕の人生は危ういものでした。
特に20代は、滅茶苦茶でしたから(苦笑)

と言う事で、今日は僕を産んでくれたお袋に感謝して、
育ててくれた親父に感謝する日にしたいと思います。

親父、お袋・・・。
41年前、僕を産んで、そして育ててくれてありがとう。
心から感謝しています。


 佐藤流インタビューの仕方 - 2007/07/26(Thu)

今日の「佐藤のつぶやき」は、まずお願いから書きたいと思います。
中越沖地震で被災した市町村へボランティアに行く場合、
十日町市の方は、十日町市社会福祉協議会(電話025-750-5010)を通してボランティアに行っていただきたいのです。
できるだけ、被災地へ直接行く事や、直接の問い合わせは控えてください。
被災地の対策本部やボランティアセンターはとても忙しくしています。
直接行ったり、問い合わせなどを個人でやり始めると、
それだけ対策本部やボランティアセンターの人達は対応に追われ、
時間と人をとられてしまいます。
被災地の人々の役に立とうとしてやった行動が、
結果的に被災地の復興の妨げとなってしまう事もあるのです。
ですから、被災地へのボランティアの問い合わせなどは、
十日町市社会福祉協議会が引き受けているわるわけです。
そして、ボランティアの力が必要な所に、必要なだけのボランティアの人達が行って作業してもらうのが、
被災地復興の一番の力となります。
そう言う、観点からも、被災地にボランティアに行かれる十日町市民の方は、
できる限り、十日町市福祉協議会を通して、
被災地にボランティアとして行ってください。
昨日の某新聞にも、

「刈羽村の平日のボランティアが足りない。」

と言う記事が掲載されていました。
必要な所に、必要なボランティアの力が求められています。
被災地柏崎のFMピッカラさん支援で、柏崎に二度入り、
現地を人々の話しを聞いてきた佐藤からのお願いでした。

さて、お願いが長くなってしまいましたが、
今日は佐藤流インビューの仕方を書きたいと思っています。
インタビューと言うと、
割と質問事項などを準備万端整えてインタビューに向かう人がほとんどです。
勿論、プロとしては当たり前の事です。
でも、佐藤の場合はちょっと違います。
僕が質問を用意して行く事もありますが、
それは余程の場合です。
基本的には質問を用意して行く事はありません。
それには僕なりの理由があります。

それは・・・。

「インタビューは、こちらが聞きたい事を聞くのではなく、インタビューを受ける人が話したい事を話してもらうものだ。」

と、僕は思っているからです。
質問を用意周到に準備して質問攻めにするより、
相手にリラックスしていただいて、話したい事を話してもらう。
これが一番面白いインタビューができるのです。
つまり、僕が考えるインタビューとは"会話"です。
自分が話すのではなく、相手の話しを聞く。事だと思います。
そして、インタビュー前の打ち合わせもほとんどしません。
それより、インタビュー相手と5分から10分程度雑談をして、
相手が何を話したいのか?
相手はどんな性格なのか?
相手が緊張しないように雰囲気を作り、
その上で、相手にインタビューをしに来た佐藤広樹という人間を知ってもらいます。

ですから、スタジオにゲストが来た時の放送は、
リスナーさんから、
「今日は楽しそうに(あるいは嬉しそうに)インタビューしていましたね。」
と言われますが、
それは勿論楽しいのもありますが、
相手を緊張から解き放ち、ノッて話してもらえるテクニックなのです。

それから、質問は現場でインタビューしながら考えるほうが、
より面白いインタビューになります。
最初から答えのわかってしまうインタビューなど、
僕は面白いインタビューとは思えないのです。
インタビューを受ける人の意外な面、面白い話しを引き出してこそ、
インタビューする本当の意味があると思っています。

とは言え、やはりインタビューの基本は、
キチンと質問を揃えていくことです。
僕のインタビューの仕方はある意味邪道ですので、
けしてマネをしないでください。

※誰がマネすんねん!!(-"-)



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