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 『報道カメラマン?』 - 2010/10/28(Thu)

昨日夜、2台ある携帯電話(スマートフォンではないノーマル携帯電話)を、
キナーレ回廊の床に落とし、
画面下の部分(面積にして4分の1)に、
液体が跳ねたような跡ができ、
落ち込んでいた佐藤です。

しかし、朝になり画面が完全復旧している奇跡が起こり、
とても嬉しい朝となりました。

さて、カメラです。
皆さんは写真撮影好きですか?
僕はかつてカメラや写真に凝った時期がありました。
伯父さんからライカのカメラをいただいたぐらいです。
あの頃は風景写真は下手で、
人間を撮影していました。
そして…。

『写真でご飯が食べられたら幸せだなぁ』

などと考えたものでした。
それが今はトオカマチ☆ウェッヴORADOKOのトップページに、
ほぼ毎日記事を書いていて、
写真も掲載するようになりました。
仕事として写真を撮影するようになったのです。
気がつけば報道カメラマンの端クレです。
以前趣味で撮影していた時は、

『いかに美しく撮影するか?』

でしたが、今は…。

『いかにわかりやすい写真を撮影するか』

に気を配っています。
トオカマチ☆ウェッヴORADOKOのニュースは、
文字数に限りがあるので、
写真はわかりやすいモノが一番です。

まだまだ写真は下手クソですが、
頑張って報道していきます。

では…。


 『政治家』 - 2010/10/26(Tue)

次の選挙に立候補を決意した佐藤です。

ウソですm(_ _)m
政治家になる器ではないけとは、
自分が一番良く知っています。
しかし、今の国家議員の中には、
どうなんだろう?
と思える政治家もいます。

政治家の一番の仕事は何か?
僕は…。

『国民の生命と財産を守り、戦争を回避すること。それは他の国に対しても同じ。』

に尽きるのだと思います。
これは国家議員だけでなく、
県市町村議員でも同じだと思います。
僕が考える政治家たる政治家像は、
こんな政治家です。
多くの政治家は、
きっと僕と同じ考えだと信じたい。
しかし、一部の政治家は、
そうではない気がしています。
元々政治以外の分野で有名となり、
ネームバリューだけで当選した人など…。
有名だから選ぶ…。
とかではなく、
政策や行動力で政治家を選ぶ。
と言うふうにならないと、
国も世界も良くならない。
そう感じています。
何もかも政治や政治家のせいにするつもりはありません。
ただ、あまりにもネームバリューに頼る選挙が多い。
そしてそんな政治家ばかり目立つ。

『国民の生命と財産を守り、戦争を回避すること。それは他の国に対しても同じ。』

このことを、多くの政治家に求めたいです。
いや、多くの政治家はわかっているはず…。
でもそれを実行できない何かが、
日本の政治(国政だけなく、都政、道政、府政、県政、市町村政)にあるんです。
こんな政治を一新する力のあるリーダーが出てほしい。
本当にそう思います。
少なくとも約束は守れる政治であってほしい。

では…。


 『演歌歌手・山口瑠美さん』 - 2010/10/24(Sun)

合羽の上着を忘れてきて、
夜バイクで帰る時に、
合羽のズボンと靴カバーを履いて、
上半身はびしょ濡れだった佐藤です。

さて、演歌歌手の山口瑠美さんと、
3年ぶりに再会しました。
2007年7月7日土曜日に、
当時僕が担当していた番組
『スタンド・バイ・ユー』
に出演していたただきました。
本当に気さくで明るい女性です。
ある意味気楽に喋ることのできる女性でした。
今日は3年ぶりに土曜日のモーニング・インフォメーションSaturdayの
インタビューコーナーに出演していただくこととなりました。
山口瑠美さんは中越地震前から、
仙田地区の皆さんと交流していて、
仕事以外のプライベートでも仙田を訪れています。
仙田の皆さんは、
山口瑠美さんを、
まるで家族のように思っています。
また、山口瑠美さん自身も、
仙田を故郷のように思っています。
今回のインタビューは、
山口瑠美さんと、
山口瑠美ファン代表として、
仙田の登坂さんにも登場していだいています。
今日は楽しい収録ができました。
山口瑠美さんは話す時に、
相手の目をジッと見て話すので、
こちらが恥ずかしくなってしまいます。
でもそこが彼女の実直さを現していて、
そこも仙田地区の皆さんに愛されるのでしょう。

山口瑠美さんが、
いずれ大スターになることを祈っています。

放送は30日土曜日午前8時からの
『モーニング・インフォメーションSaturday』
の中で午前8時25分頃からの、
インタビューコーナーです。
なかなか面白いインタビューですよ。

では…。


 『市長と立ち話』 - 2010/10/23(Sat)

10月は毎週市内でイベントがあり、
取材で駆け回っている佐藤です。

十日町市内のイベントは、
大抵駐車場が少なく、
駐車場はすぐに満車となります。
ですから、公共交通を使うのが一番。
しかし、取材となるとなかなかそうはいきません。
多い時には1日5ヶ所のハシゴ取材もあります。
そんな時に便利なのが、
50ccのバイクです。
渋滞もスイスイ抜けて、
駐車スペースもとらずに駐車もできます。
しかも燃費も良いので、
ガソリンを節約しながら移動できる。
50ccバイクはイベント取材の秘密兵器ですね。

さて、今日産業フェスタ会場から特番を放送しました。
僕の仕事はスタジオで会場からの電波を受け、
ミキシングをすることでした。
特番が終わり、
しばらく事務所の留守番の交代が来るまで待ち、
その後サテライトスタジオの撤収作業を手伝いました。
クロス10にも機材を返し、
クロス10を出ようとすると、
関口十日町市長が入って来られました。
挨拶をすると、
市長は立ち止まられて、
すばらく立ち話となりました。
市長は11月26日に東京で行われる、
池谷地区を支援している国際NGO JENが主催する、
とある会合に出席するとの情報を得ていたので、
そんな話しを2人でしていました。
関口市長はJENが支援して、
池谷地区が都会との交流で成功していることを知っていて、
池谷地区にかなり興味を持っているのです。
市長は僕が池谷地区と親しい関係なのも知っています。
そこで僕はこんな話しを市長にしました。

『市長、ご存知のように池谷地区には都会から若者達が沢山やってきます。僕が知っている東京のSさんと言う若い女性も、池谷に住みたい。と言っていますが、やはり仕事があるかが心配で、なかなか決心がつかない様子です。雇用問題さえ解決できれば、僕が知っているだけでも、数人は十日町市に住みたい。と言ってます。』

関口市長は少し考えてから

『やはり雇用かぁ』

と言われました。
ちょうどその時に、
市長に挨拶される方が来たので、
僕は会釈をして去りました。

雇用の場があれば十日町市に住みたい。
と言う都会の若者は数人います。
市長、1人でも2人でも雇用の場を増やしてください。
そうしたら、都会から若者が十日町市に定住してくれます。

佐藤広樹からのお願いです。

では…。


 『”心に太陽を”取材編集』 - 2010/10/22(Fri)

いよいよ明日、
午前10時から『心に太陽を』が、
3年ぶりに再放送されます。
これを聴くと、
間違いなく元気になれます。
元気どころか勇気をもらえます。
聴き逃すと損をしますよ!!

さて、昨日と一昨日のブログにも書きましたが、
この『心に太陽を』を取材するに当たり、
開局から5ヶ月目の2006年7月。
まだまだ取材素人だった僕は、
どうやって取材して良いかわからず、
それでも1つの方針を決めました。
正確には”方針”ではなく”寄りどころ”です。
それは

『ジュースでも濃縮すれば美味しくなる。きっとドキュメンタリーも同じ…だろう…。』

それで当時の故・矢口辰幸総務局長の目を盗み、
池谷に2週間取材に行きました。

※当時は営業マンである僕が取材に行くと、矢口さんは怒りました。自分で『取材に行け』と言ったわりには、怒るのでした(笑)

朝も昼も夜も取材に行き、
インタビューは絶対せずに、
とにかくストーカーのように、
都会からのボランティアの若者達や、
池谷の老人達にマイクを向け続けました。
都会からのボランティアの若者達には、
2泊3日の滞在期間中の最後の朝に、
たった一問質問をしました。

『池谷に来る前と今では、アナタの中で何かが変わりましたか?』

池谷の老人達は、
マイクを向けると身構えてしまうので、
自宅に遊びに行き、
許可を取ってちゃぶ台の上にマイクを置き、
1軒のお宅で1時間〜2時間程度、
お茶を飲みながら何日も雑談をしました。
2週間で総録音時間は16時間を超え、
16時間を5分間の番組2本にまとめました。
16時間の音を、
1週間で5分間2本。
実際はナレーションもあるので4分間程度。毎日何時間も音を聴き続けるので、
時々耳がおかしくなり、
音の強弱さえもわからなくなるくらいでした。

そして、この16時間取材で決めていたことは、

『絶対にメモはとらない。メモではなく、心に残った音だけを編集で残していく。』

メモをとると、
全部が大切になり、
何処を切って良いかわからなくなる。
メモをとらず、
自分の心に残った部分を編集で残せば間違いなく何かが、
聴いてくださる人の心に伝わるはず。
伝わる側の僕自身の心に残らないものは、
聴いてくださる人には伝わらないだろう。

このやり方で、締切ギリギリで編集を終え、
全県で放送することができました。

この『心に太陽を』の編集の経験は、
今ニュース編集に活かされています。
市長定例会見などの時も、
基本的にあまりメモをとりません。
※市長会見の時は、市長の表内容は、資料でマスコミに配布されます。
市長定例会見の時も、

『何が心に残るか!?』

を大切にするので、
1時間かかる市長定例会見でも、
40分間以内に、
4分間程度のニュースに編集できるようになりました。

『音を残すかカットするか迷ったら、迷うこと事態がいらない印と思いカットする。』

これが高速編集を可能にした、
編集作業の佐藤流極意です。

と言うことで、
『心に太陽を』から学んだことが、
今の僕の基礎を作りました。

ぜひ、明日午前10時からの、
『心に太陽を』をお聴きください。

では…。



 『池谷モデル』 - 2010/10/21(Thu)

やっと、23日土曜日午前10時放送の『心に太陽を』の再編集作業が終了しました。
なにせ、4年前開局から5ヶ月目。
ドキュメンタリー番組など制作したことのない僕が、
初めて作ったのがこの『心に太陽を』の池谷地区取材の
ドキュメンタリー5分間2本でした。
願入地区取材の3本は早見アナウンサーが取材編集をしました。
本当に当時は必死でした。
新潟日報社と県内コミュニティーFM局10曲局の協同企画で、
当時の現場責任者だった故・矢口辰幸総務局長が、

『エフエムとおかまちは、県内コミュニティーFM局の中では、一番末っ子(県内10局目の開局)なのだから、我々が一番最初にやろう。』

と言い出し、
当時ラジオでの放送経験があった僕と早見アナに、

『池谷地区には国際NGO JENと言うNGOが来ていて、都会からボランティアの若者を連れてくるらしい。佐藤行って取材してこい。』

『願入地区は第3回大地の芸術祭へ向けて、女性達がレストラン(後の"うぶすなのいえ")を開くらしい。早見取材してこい。』

と号令をかけて、僕が池谷へ。
早見アナが、願入へ取材へ行ったのです。

とにかくドキュメンタリーなるものも初めて・・・。
しかも、先輩局9局配信(放送)
取材に2週間。
編集に1週間かけてつくったのが、
『心に太陽を』なのです。
あの3週間は本当にプレッシャーでした。
おかげて『心に太陽を』は、
翌年の放送業界のアカデミー賞とも言われる
ギャラクシー賞選奨を受賞しました。

なので、少し音にムラがあり、
そのムラの調整に手間取りました。

この『心に太陽を』には裏話があり、
実は新潟日報さんとコミュニティーFM局で企画した時のタイトルは、
実は『心に太陽』で、『を』はいらなかったのです。
なぜか僕と早見アナは『心に太陽"を"』だと思い込み、
放送が終わってから気がついたのでした(笑)

さて、そんなご縁で池谷地区にはその後4年間お世話になっています。
このところ忙しくてご無沙汰でしたが、
また今年の夏からちょくちょくお邪魔しています。

その池谷に、
東京から農業をしに通ってくる女性がいます。
女性の名前はSさん。
月に1度〜数度、池谷に来て農業をしているそうです。
Sさんは本当に自然や農業、
そして池谷の人々を愛していると言うのが、
1度しかお会いしたことはありませんが、
本当に良く伝わってきます。
それほど池谷の人々や、
池谷と入山を支える地元ボランティアの皆さんの活動が、
都会の若い人達にも支持されているのです。
最近は関口市長までもが、

『池谷地区は、都会との交流事業において、1つのモデルとなっている。』

と発言するほどです。

Sさんは声高らかに池谷の魅力を語ったり、
自分の池谷や農業への想いを騙ることはないけれど、
それでもこちらに伝わる気持があるのです。
都会に暮らす若い女性にも、
池谷は魅力的なのです。
Sさんにとっては、
池谷は本当の故郷になりつつあるように見えます。
Sさんばかりじゃありません。
ボランティア活動や企業研修で池谷を訪れ、
その後、個人で池谷に通う都会の若者達も多い。

関口市長が言うように、
池谷地区は都会との交流の『池谷モデル』となっています。

では・・・。


 『”心に太陽を”再々放送決定』 - 2010/10/20(Wed)

防災ラジオドラマ作品募集に、
ラジオドラマを作って応募することにした佐藤です。

さて、ラジオドラマの脚本は書きました。
出演は昨年クリスマスドラマに出てくれたメンバーです。
ドラマの時間は7分以内と短い。
今まで書いてきた舞台台本は、
最低でも1時間。
長いものは1時間〜2時間。
7分間は難しい。
まぁ、舞台台本とラジオドラマの脚本は、
基本は同じでも、
かなり違うので、
そこのところが難しいのですが…。
皆で頑張って良いドラマにします。

さてさて、
2006年の7月に、
十日町市の池谷地区と願入地区を取材し、
2006年8月に放送。
翌年には日本のラジオ・テレビ・CM業界最大の賞(放送業界のアカデミー賞)
ギャラクシー賞選奨を受賞した、
ドキュメンタリー番組『心に太陽を』
を、3年ぶりに再々放送します。
(2007年にギャラクシー賞選奨受賞を記念して放送して以来)
放送日時は10月23日土曜日午前10時から30分間。
内容は今や年間700人ものボランティアや視察団が訪れ、
世界を代表する大企業までが支援に乗り出し、
人口15人の高齢者が目立つ村に、
若者までが定住するようになった池谷の、
4年前の姿を追った5分間のドキュメンタリー2本。

今や大地の芸術祭では、
50日間で数万人もの観客を集める願入地区。
願入も人口は十数人の小さな集落。
数万人を集める魅力は、
地域の女性達が運営するレストラン”うぶすなの家”
その”うぶすなの家”が立ち上がるまで追ったドキュメンタリーを中心に、
5分間の番組を3本。

池谷、願入とも、
今は中越地震からの復興を成し遂げ、
復興以上の発展の道を進んでいます。
そんな池谷、願入の4年前の、
復興へと向かう原点を、
ぜひ、お聴きください。

昨日、30分間の放送枠に入れるため、
再編集作業をしました。
改めて『心に太陽を』を聴いてみて、
自分の放送マンとしての原点を見た想いでした。

最近ちょっと元気の無い人は、
聴けば必ず元気をもらえるはずです。

では…。



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