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 リスナーさんと - 2007/02/24(Sat)

放送を終え、番組の録音を聴き、少し落ち込み気味の佐藤です(ToT)
今週の日曜日に、十日町雪まつりが終りました。
昨年末から準備を重ね、特番や臨時駐車場情報を放送しました。
いや、この2ヶ月間の準備期間が、
とにかくハードでしたから、今週は局員全員がドッと疲れが出ていました。
しかし、やはり十日町雪まつりは楽しく、
放送をしながらワクワクしていました。
しかし、僕などは年なので、
疲れのピークが遅れて来るようで、
今日あたりに来てしまいました(´A`)
まぁ、昨日は早番で早朝に出勤して、
取材を終えて家に着いたのが、夜9時30分だったのも、
今日の頭がボケーっとしたのに繋がっていたのかもしれません。
いずれにせよ、マイクの前に座る時は体調管理をしっかりしなければ…と思った一日でした。
やはり、そう言うのは放送に現われる。

さて、昨日はベスト・パートナーさんのサイン入りポスターに、
多数応募してくださった方の中から抽選で、ポスターが当たったリスナーさんの家まで、ポスターを届けてきました。
関東から応募してくださったベスト・パートナー・ファンが2名と、市内のファンの方が4名当選しました。
もちろん、関東方面は郵送しましたが、
市内の方のところは、経費節減もあり、直接持っていきました。(4名とも局から近かった事もあります)
一件一件訪ねて、手渡す事ができました。
そうすると
「僕らはスタジオのマイクの前に座り、普段はリスナーの姿が見えないけれど、この場所でラジオを聴いてくださるのだなぁ」
と、実感できました。そして、本当にありがたい事だと思えました。
いろいろな場所で、いろいろな想いで、リスナーの皆さんはラジオを聴いてくれている。
その事が実感できた事で、心に勇気が沸いたのでした。
やはり聴いてくれる人があっての番組。
リスナーの皆さんの存在なくして、番組は成り立ちません。
これからもよろしくお願いいたします。

さて、そしてスタンド・バイ・ユーを聴いてはいるけれど、まだメッセージを出したことのない方。
ぜひ、メッセージをお寄せください。
よく「リクエスト曲が思い浮かばないから、メッセージを書けない。」
と言う声を聞きますが、リクエスト曲がなくてもけっこうです。
スタンド・バイ・ユーはフリーテーマです。
日常に起こったあんな事、こんな事。季節の話題。
気軽に書いて送ってください。

では、来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!


〜追伸〜
先週予告した「心に太陽を」秘話Aは、
体調が万全になりましたら書きたいと思っています。
もうしばらくお待ちくださいm(__)m



 「心に太陽を」秘話A - 2007/02/25(Sun)

一晩寝て、少々体調の戻ってきた佐藤です。
お約束していた「心に太陽を」秘話の第2回目を書きたいと思います。

「心に太陽を」の取材は、何のツテもなく始まりました。
当初の情報は"国際NGOのJENと言う団体が、池谷地区でボランティア活動をしている。"
と言うだけの情報でした。
私は池谷地区には行ったこともなく、
その情報だけを頼りに、とにかく池谷に行ってみようと思ったのでした。
国際NGO・JENと言う団体が、池谷の廃校となった小学校を宿舎にして、
都会から若者をボランティアとして連れてくる・・・。
その意味もわからず、池谷の廃校となった小学校に行くことにしたのです。
ですが・・・。
実際、池谷に到着すると、
小学校へ向かう道は、災害復旧作業の工事をしていて、通行止めとなり、
小学校へは行くことができませんでした。
そこで、困ってしまい、池谷の村をウロウロしていました。
そんな私の姿を、家の中からお爺さんがジッと見ていました。
私は営業の仕事の合間に池谷に行ったので、スーツを着ていました。
この山間部でスーツなど来てウロウロしているヤツは、
銀行員か、怪しいセールスマンくらいのものです。
私はスッカリ怪しい雰囲気だったのです。
そのお爺さんの視線に気づき、私はこちらから声をかけました。
「あのぉ、小学校へは行けないのですか?」
「あぁ、工事してて行かんねぇ。ところでお前は誰だ?」
「あぁ、すみません。エフエムとおかまちと申します。小学校に都会からボランティアが来ると聞き、ちょっと取材の下見に来たのですが・・・。」
「おぉ、丁度良い。ちょっと上がってお茶飲んでいけ」
「?????????」
何が丁度良いのかわからず、私はお爺さんの家へ入りました。
そこには、お爺さんとお婆さん。
そして、落ち武者のような顔をした50代くらいの男性がいました。
そして、お茶や漬物などをいただきました。
そこで紹介された落ち武者のような男性は、
マサさんと言い、JENの活動に共鳴し、関東から応援に来ている人でした。
(のちにこのマサさんが、日本映画界を代表する照明技師と知りビックリするのだが、この時は落ち武者に見えた。マサさん、ゴメンナサイ)
そして、この時に出逢ったお爺さんとお婆さんのTさん夫妻とは、
その後、取材を通して、もの凄いパワーの持ち主と知り、
取材以外でも、お世話になることとなる。

この時のTさん夫妻とマサさんとの出逢いが、
「心に太陽を」の第1話「復興ボランティア〜都会からの若者達〜」、第2話「夢を語る老人達」を取材するキッカケとなったのでした。
今から考えると、あの日に池谷に行き、Tさん夫妻とマサさんに出逢わなければ・・・。
もっと言えば、工事が終わっていて、小学校に行っていたら、
「心に太陽を」は、別のものになっていた可能性もあるのです。
そして、この時の出逢いから、池谷通じて出逢いの輪が拡がり、
今も続いているのですから・・・。
本当に奇跡が重なった出逢いと感じています。

さて、この続きはまた、体調の良い時に書きたいと思います。
この出逢いから、取材がどう進んでいったかは、またいつか・・・。


 音楽著作権担当の佐藤です。 - 2007/02/28(Wed)

佐藤です。
今日は仕事で湯沢のNASPAニューオータニまで行ってきました。
いやぁ、NASPAさん辺りまで行くと、
雪が降っていて、久しぶりに冬の感じがしました。
いくら暖冬小雪と言っても、やっぱり冬なんですね。

さて、今日一つ音楽著作権絡みの仕事がやっと一つ終わりました。
この音楽著作権に関する仕事は、いつの間にか僕の仕事になってしまいました。
最終学歴が県立高校卒業の僕にとっては、
この著作権に関する法律や、著作権の申請や取得は、理解が難しく、なかなか大変な仕事です。
とは言え、ラジオ局にとってこの音楽著作権に関するは大切な仕事ですから、
絶対にキチンとしておかなければなりません。
この仕事に就かなければ、なかなか音楽著作権に関する勉強はできないので、
仕事がてら、知識の一つとして覚えたいと思っています。
放送と、WEBでの配信では、また著作権の申請方法が違ったりします。
これも、この仕事に就いていなければ知りえない事でした。
申請書類を作っているいる間は、面倒臭くて文句ばっかり言っていますが、
こうやって一つ仕事が終わってみると、知識が一つ自分についてるのですから・・・。
これも悪くはないかなぁ。と思っている今日この頃です。
音楽著作権担当の佐藤でした。
※心の叫び(誰か、音楽著作権担当を代わってくれぇぇぇ!!!)



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