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 『インタビューな3時間半』 - 2007/09/15(Sat)

今日はまずお詫びからしなければならないです。
ゲスト多数の為、
時間切れで読めなかったメッセージが出てしまいました。
来週の番組で必ず読ませていただきます。
本当にすみません。

そして、今日はスタンド・バイ・ユー始まって以来のゲストが来てくださった。
本当にインタビューな3時間30分となりました。
まずは、月2回のレギュラー『キキトク環境話』の高橋さん。
そして、今夜市民会館でピアノリサイタルを開く、ピアニストの藤原由紀乃さん。
続いて、『毎週土曜は防災の日』に月1で出演してくださる、十日町消防本部の皆さん。
続いて、キルト展実行委員長の関田さん。
最後は、十日町出身のミュージシャン高野千恵さん。
本当に沢山のゲストが番組出演してくたでさった。
出演してくださった皆さん、本当にありがとうございます。

さてさてさて、
今日はインタビューについて書きたいと思います。
以前も書いた事があるのですが、
今日はいろいろなタイプのゲストと話して、
とても良い機会なので、あらためて書きます。
僕の場合、基本的にインタビュー前には、
インタビュー相手と打ち合わせをほとんどしません。
打ち合わせをすればするほど、
インタビューの時の緊張感や、
時々出る本音を聞けなくなってしまうからです。
ただこれは誤解してほしくないのですが、
あくまでも”佐藤広樹流”のインタビューでして、
普通はインタビュー前に打ち合わせをしたりします。
でも、そのかわりに、雑談をします。
最低1分間、長くても10分間程度。
その雑談の間に、
相手が何を話したいかを理解します。
そして、ここからが重要なのですが、

『インタビューとは、こちらが何を聞きたいか、ではなく・・・。相手が何を話したいか・・・。』

だと思うのです。
こちらが聞きたい事は二の次。
まずは相手が話したい事を、
話しやすいように質問したり、
相手がリズム良く話せるように、
合いの手を入れたり、間をとるのです。

そして、必ず相手の人間性が引き出せるようなインタビューを心がける。

今日の放送で言えば、
まずピアニストの藤原由紀乃さん。
藤原さんは『心で感じたものを、ピアノの音色にする』と言う奏法を極めているピアニストと、
雑談の中で感じました。
であるならば、

『藤原由紀乃さんと言うピアニストの内面に迫ってみよう。』

と思うわけです。
しかし、あまり観念的な話に終始してしまっては、
聴いてくだっているリスナーさんに伝わらない。
藤原さんのピアニストとしての精神的な部分を、
聴いてくださっている人にわかりやすい言葉にしていくのが、
僕の仕事となるわけです。

続いて、キルト展実行委員長の関田さん。
関田さんの場合は、
明日から開催のキルト展のPRが目的のインタビュー。
ご都合でちょっと遅れてスタジオした事を、
だいぶ恐縮しておられたので、
まずはリラックスしていただくために、
音楽を流している間、

『時間に余裕のある番組構成ですから、お気になさらず。』

と、笑顔で対応し、リラックスしていただくことに努めるのです。
そして、キルト展の情報の中でも、
他地域、他見、外国からも注目され、参加していただいている部分を話していただき、
イベントとしての価値をリスナーさんに知っていただき、興味を持ってもらった上で、
細かな情報を話していただく流れとしました。
ここで重要なのは、

『インタビューはただ話しを聞けば良いのではなく、聴いてくださっているリスナーさんに、興味を持ってもらうような、インタビューの流れを作る』です。

そして、最後は地元出身ミュージシャン高野千恵さん。
高野千恵さんは、音楽もさることながら、
とてもトークのできる女性です。
頭の回転が速く、
僕がどんなにボケても、突っ込んでも、
ちゃんと着いて来て、キッチリ返すだけのトーク力があります。
高野千恵さんにインタビューする時に重要なのは、

『多少脱線しても、高野千恵さんのトークの魅力、高野千恵さんの女の子としての可愛さ、人間としての魅力を、できる限り引き出す事。』

もちろん、ミュージシャンとての魅力。
イベントの紹介にも心がけてのインタビューとなりますが、
基本は、まだ高野千恵さんを知らない人に、
彼女の持つ温かな人間性を伝えて、
ファンになってもらえるようなインタビューを心がけます。
だから、よくリスナーさんに
『佐藤さんは高野千恵さんの時は楽しそうですね。』
と言われますが、
実際あれだけトークの立つゲストはインタビューしていて楽しいです。
でも、その楽しい雰囲気を作る冷静さを持ってインタビューしているつもりです。

という事で、こんなオッサン(僕)でも、インタビューをする時は、
いろいろと考えてインタビューをしているわけです。
ピアニストの藤原由紀乃さんご本人や、
関係者の方に、今回の僕のインタビューを喜んでいただけたり、
高野千恵さんのご家族に僕のインタビューが喜んでいただけたのは、
僕にとっても嬉しい出来事でした。
本当に今日のスタンド・バイ・ユーは、
インタビューな3時間半でした。

さぁ、早番4日間が今日で終わりました。
家に帰って寝るとしましょう。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!


 『9.11』 - 2007/09/16(Sun)

ちょっと遅ればせながら、
あのアメリカ同時多発テロ・・・
いわゆる『9.11』から先6年が経ったので、
少し書いてみたい。

あの当時僕は、
老人ホームで介護の仕事をしながら、
上越市で劇団を主宰していた。
劇団の名は”劇団サンフェイス”
ここは自慢をしたいと思うのだけど、
この劇団サンフェイス役者達の演技のレベルは、
すぐにでも東京で通用する高いレベルだったと、
今も自負しています。

その劇団で僕は作(劇作家)・演出・制作を担当していた。
『9.11』前年の暮れくらいから、
僕は・・・。

『本当に命を賭けて戦う若者を書きたい』

と思っていたのです。
キッカケは劇団キャラメルボックスの『風を継ぐ者』と言うお芝居を、
衛星放送で観たからでした。
『風を継ぐ者』は幕末が舞台。
僕は、幕末ではなく現代で、
言葉だけの『命を賭けて戦う』ではなく、
本当に『命を賭けて戦う者』を書こうと思ったのでした。
年が明けて思いついた題材が『テロリスト』だったのです。
でも、当時”テロリスト”は、日本では学生運動以降の時代のイメージがあり、
古臭く、リアルではなく、ちょっとチープな存在と捉えられていました。
僕は、半年をかけ『紅き薔薇のテロリスト』と言う作品を書き上げました。
当時は、沖縄に駐留する米軍の兵士による犯罪が多発していて、
地位協定が問題となっていました。
調べると沖縄本島の一番良い場所のほとんどは、
米軍の管理下(米軍基地)になっていて、
沖縄の人たちは、本島に島の端っこで生活をしてきたのでした。
(今もそうです。)
そこで、米軍の沖縄駐留のあり方に一石を投じる内容の芝居でした。

8月末に第3稿の戯曲(台本)を書き上げ、
いよいよ本格的な稽古に入った矢先の9月11日夜11時近く・・・。
稽古場で稽古を終えて、劇団員と雑談をしていると、
1人の劇団員が携帯のニュース配信メールを見て、

「佐藤さん、アメリカのペンタゴンにハイジャックされた飛行機が突っ込んだらしいですよ。」

と言ったのでした。
僕は、

「ペンタゴンにハイジャック機が突っ込むなんて、そりゃ戦争じゃないか。」と言ったのを覚えています。

まさに、それは戦争の始まりだったのです。

翌日、僕は当時FM−J(エフエム上越)さんで自分の番組を週一で持っていたので、
FM−Jさんのスタジオに行きました。
収録するサブスタジオに入りました。
ディレクター兼ミキサーの八木さんがのいるミキサー質の後ろでは、
14型のテレビに崩壊する世界貿易センタービルの映像が繰り返し映し出されていました。
僕の番組『ひろKingレディオ』は、
僕が1人で喋り捲る(スタンド・バイ・ユーの3倍のスピードで喋っていました。)バラエティー番組でしたが、
テレビに映る崩壊する世界貿易センタービルの映像を見ているうちに、
言葉が出てこなくなりました。

『この完璧なテロ計画を思いついた奴は、思いついた瞬間に微笑みを浮かべたに違いない。』

当時は誰が犯人かもわかっていませんでしたが、
その悪魔の微笑みを想像した瞬間・・・。
吐き気がして、背筋が凍ったのでした。
そして・・・。

『こんなことは、ハリウッドをはじめとする映画やテレビドラマ。そして、僕達演劇人が想像して作るべきもので、こんな事を現実に実行する人間がいることに驚愕するとともに、もう僕達劇作家に書くべきものはないのではないか・・・。』

とすら思ったのです。

その後、アメリカはアフガニスタンに侵攻していきました。
僕は、劇作家であり、
政治的にも、宗教的にも、何か思想を持っているわけではないのですが、
このアメリカのアフガニスタン侵攻には、疑問を持っていたのです。

劇団内もこの事件を受けて、いろいろな意見が噴出しました。

「今、テロリストを扱った作品の上演はマズイのではないか」

そりゃ、そうです。
古臭くて、時代遅れで、まったくリアルじゃないと思っていたテロや、テロリストが、
突然、リアルに僕らの世界に入り込み、
多くの人命を奪ったのです。

しかし、僕は思ったのです。
僕達みたいな小さな劇団が、
同時多発テロで『紅き薔薇のテロリスト』の上演を中止したら、
テロや、テロリストに負けて、認めてしまうことになる。
そこで、僕は強行に上演を主張し、
戯曲(台本)も、今回の事件を取り入れ、
アメリカのアフガニスタン侵攻に疑問を投げかけるものに書き直しました。

同時多発テロ事件以降、
『紅き薔薇のテロリスト』のポスターは、
上越市内から撤去されるケースも相次ぎ、
チケットはいつもの半分程度しか売れませんでした。

世界中がアメリカに同情し、
ブッシュ大統領の支持率は急上昇。
大統領批判をした米国の俳優やタレント、ミュージシャンは、
非難を浴びはじめていた頃です。
地方の小さな劇団とは言え、
当時のアメリカの政策を批判する内容の芝居を上演することは、
本当に覚悟のいることでした。
僕達は必死でお客様にダイレクトメールや、
メールを配信しました。
そして、劇団のホームページでも再三呼びかけたのです。

『今回の芝居は、劇団としてのテロとの戦いです。残念ながらテロ事件を受け、チケットは売れていません。劇団存続の危機です。ぜひ、芝居を観に来てください。』

同時多発テロ事件から1ヶ月後の上演初日、
なんと客席は満杯となり椅子が足りなくなったのです。
劇団を愛してくださるお客様達が、
どんどん知り合いを連れて観に来てくださったのです。
中には10人も連れて来てくださった方もいらっしゃいました。

問題は芝居の内容。
アメリカ同情論が世界を席巻する中での
たぶん世界初の”アメリカ批判の芝居”の上演。
お客様からの批判を覚悟での上演です。

そして・・・芝居の幕が上がりました。

終わってアンケートを読むのが怖かったのですが
ほとんどお客様が、

『よくぞこの作品を上演してくれた。』

と共感のご意見だったのです。

あれから6年・・・。
アフガニスタンだけではなく、
イラクでも戦争が起こり、
米兵の若い命は、世界貿易センタービルでの犠牲者を遥かに越えました。
そして、アフガニスタンやイラクの国民の死者数は、
その二つの犠牲者の数を遥かに超えています。
テロリストと言えど、人間です。
命の重さに変わりはありません。
今回の戦争で死亡したテロリストの数は、
公表されている数より多いことでしよう。
いったい何人の尊い命が奪われたら戦争は終わるのでしょうか・・・。

いったい僕達に、何ができるのでしょうか・・・。
6年経っても何もできていない気もして、無力感にさいなまれますが、
それでも僕達ができることは、
これからを生きる子供達に、

『命の大切さ』

を教えていくことだと思うのです。







 『弱き自分と向き合って』 - 2007/09/18(Tue)

このところ連日このブログを更新できているのは、
連日の早番の成果です。
早番の空いた時間に、このブログを更新することにしているからです。ハイ。
考えてみたら、先週の早番4日間が終わったぁーと思ったら、
休日2日間を挟んで、今日も5日目の早番でした。
あぁぁぁぁぁ眠いっス・・・。

さて、昨日はお休みで愛車スナッフィー(50cc原チャリ)に乗って、
柏崎市のFMピッカラさんへ、
一昨日発売のKOKIAさんの『私にできること』のCDを買いに行き、
そのまま海岸線の国道8号を上越市まで足を伸ばして、
1人ショートツーリングを楽しんできた佐藤です。
バイクは車と違い、ラジオもCDも聴くことができないので、
風を楽しみ、風景を楽しみ、そして自分自身と対話をする時間となります。
僕が嫌いな言葉の1つに『自分探し』と言う言葉があります。
僕は『自分とは探すものではなく、自分とは作り上げるものだ』と言う想いがあるからです。
自分とは探すものではなく、自分自身の弱い部分と向き合って見つめ、
自分の弱さを認め、そして1つ1つ克服し、
自分を作り上げていくのだと思うのです。
自分弱さを見つめると言うのは、本当に辛いことです。
時には目を背け、時には逃げ出すこともあります。
自分を成長させるには、いつまでも逃げているわけにもいきません。
そうやって、僕は今まで生きてきました。

バイクで数時間走り続けると、
最後の頃は、そんな自分を見つめる時間となりました。
そして自分がいかに弱く、小さな人間かが見えてきます。
その姿を観続けるのは、辛い時間です。
でも、そんな自分からいつまでも逃げていたら、
いつまでたっても前へは進むことはできないのです。
バイクに乗って、時には海岸で海を眺め、
最後の2時間は、弱い自分と向き合ってみました。
家に到着するまで、弱い自分をどう乗り越えるか、
答えは出ませんでした。
でも、そうやって逃げずに少しずつ時間を重ねることで、
いつかきっと、今より少し前に進めるはずです。
子供の頃から僕の心の中にある”孤独”
30歳になるまで僕の心は”孤独”に支配されていました。
人生を重ねることで、僕の中の孤独は少しずつ小さくなりしたが、
それでも完全に”孤独”から抜け出せたわけではないのです。
今の僕は、とても弱く、小さい存在ですが、
そんな自分を正直にラジオのマイクの前でさらけ出そうと思っています。
カッコつけてもリスナーさんにはバレますからね。
そんな僕が精一杯の力を注ぐ番組『スタンド・バイ・ユー』を、
これからもよろしくお願いします。




 『子供達に伝えなければならないこと』 - 2007/09/20(Thu)

昨日から反省している佐藤です。
正直言うと、
上越ケーブルビジョンさんでバイトでケーブルテレビの番組司会をしたのが、
こういう業界とのつながりの最初で、
29歳の時でした。
その頃に、やはりバイトで月刊komachiさんのグルメ取材の記事を書いたり・・・。
FM−Jさんで、番組を持たせてもらい5年間週一でしゃべり、
その後、3年近くのブランクを経て、
エフエムとおかまちでスタンド・バイ・ユーを担当して1年半。
考えてみればずっとではないですが、
なんだかんだで、こういう業界との繋がりは、
もう12年間にもなります。
しかし・・・。
やはり、いつまでも街中で声をかけていただく事には馴れないです。
ま、声をかけていただく分には、
僕もなんとか対応できるようになったのですが、
昨夜のように、数人の方が僕をちょっと離れた場所からジッと見られていると、
どうしてよいやら判らずに、
ついついその場から逃げてしまいます。
昨夜も仕事帰りに、映画のDVDを借りにレンタル屋さんに行きました。
そこでやはり、僕のいる方向をジッと見ている2人の方がいます。
時より、こちらの方向に手などを振ってくれます。
ハテ?誰に手を振っているのだろうと思いながら、
レジを済ませると、
また手を振ってくださいます。

「もしや・・・僕に手を振っているのか?・・・。」

ハッキリと僕に手を振っているのかわからないまま、
こちらから手を振ることもできず、(間違って手を振るほど恥ずかしいことはないので・・・。)
ちょっと、CDコーナーに隠れました。
しばらくして見ると、
その方々はおらず、ホッとして店を出ようとしたら、
今度は、店の前でこちらを見ています。
しかも、1人増えている。

「まさか、俺の出てくるのを待っているわけじゃないだろう。」

と思いつつも、やはりどうしてよいか判らず、
その店の本のコーナーへ歩いていきました。
そうしたら・・・。

「あっ!奥に行っちゃった!!」

との声・・・。

あれあれ・・・。
やはり僕を待っていたのか・・・。
なんだか悪い事をしてしまったので、
家に帰ってかなり反省しました。
昨夜、レンタルビデオ店の中と外で待ってくだった皆さん。
本当にすみませんでした。
今度はジッと見ていないで、声をかけてくださいね。
たぶんギコチナイ笑顔で対応すると思いますが、悪気はないのです。
仕事以外では、本当に人見知りなので、お許しください。

さて、一昨日のこのブログでも、

『”子供達に命の大切さ”を伝えることが、大人の役割』

と書きましたが、

もう2つ子供達に伝えるべきことがあります。
それは・・・。

『夢を持つ事の大切さ』です。

夢を持つ事で、乗り越えられる事や、
人生の価値を見つける事はあります。
僕自身も夢を持つことで、ここまで生きてこれました。
夢とは、叶える為の努力をすることに最大の意味があり、
夢を手にしても、手にできなくても、
そこには人生で学ぶべきものが沢山あるのです。
成功も人生勉強、失敗や挫折も人生勉強です。

それからもう1つ・・・。
これが子供達に伝える僕の最大のメッセージですが、

『この世には、やってしまったら絶対に許されない事がある。』

と言うことです。
最近は、犯罪の凶悪化、悲惨さは僕達の子供の頃の比ではありません。
毎日、毎日、加速度的に犯罪の凶悪化は進んでいます。
犯罪だけではありません。
法律を犯していなければ、何をしても良いという風潮が拡がっています。
逆の言い方をすれば、
犯罪を犯しても、裁判で無罪になれば許されるとか、
犯罪を犯しても”謝りさえすれば許される”と言う風潮も拡がっています。
法律は大切なものです。
法治国家として、法律に従って生きることは、
この国だけだけなく、
世界の中で生きる者の最低限の常識だとも思っています。
しかし、法律にさえ頼っていたら、この世界は平和になるのでしょうか?
そうではありません。
そこには”他人を思いやる心”が必要です。
たとえば殺人。
これは絶対に許されるものではありません。
法律的に刑が決まり、その刑を終えた人は、
法的にも社会的にも許されて、
社会の中で生きていくことは、認められなければなりません。
ただ、それで全てがチャラにはならないのです。
殺された人、そしてその人の遺族だけは、
絶対にその人を許さないでしょう。

”人を殺す”と言う行為は、
そういうものなのです。
法律や社会が寛容な心で許しても、
殺された人や、その遺族だけは、一生その人を許さない。
殺人だけではありません。
”イジメ”についても同じです。
イジメは、虐められた人間の心に凄い傷を残します。
僕は子供の頃虐められ、41歳になる今でも、
その傷が完全に癒えたとは言えないのです。
僕の”人見知り”もそれが原因だと思います。
だからと言って、僕は聖人ではありません。
そんな僕だって、誰かを虐めたこともあります。
そのことは、の歳になって、後悔しています。

それに、最近の判明したことでは、
年金のネコババ問題。
私の知り合いなど、
経済的に本当に苦しくて、払いたくても年金を払うことができず、
年金の未払いが続くと、
督促のハガキが届きます。
そこには”差し押さえ”の文字も書かれていた時期もありました。
やっと、借金までして年金を納めても、
払ったお金はネコババされる・・・。そんな疑いがあるとすれば、
払いつづけている国民は、
何を信じれば良いのでしょう。

これも、謝ったからと言って、許されるものではないでしょう。

『謝り、反省さえすれば、何をしても許してもらえる。』

こんな風潮が、現在の凶悪事件増加の根本のような気がしてしょうがありません。

『世の中には、やってしまったら絶対に許されないことがある。』

このことは、子供達に伝えていかなければなりません。
そして僕は、ラジオを通じて、このことは伝えていきたいと思います。


 『ラジオパーソナリティーに必要なモノは』 - 2007/09/22(Sat)

いやぁ、今日も本番までバタバタでした。
本番3分前までコーナー編集をして、
(普段はコーナーでも、インタビューでも、
編集しなくて良いように取材してくるのですが、
今回はちょっと編集が必要でした。)
1分前にマイクの前に座り、
息を整えて、本番30秒前に頭を整理して、
タイトル曲の『モア・ザン・ディス』ロキシー・ミュージックが流れたところで、
オープニングトークの内容を決めました。
普段、営業の仕事をしているので、
番組準備は朝6時からの2時間。
時々、こういう事態に陥ります。
半年に1度くらいは、番組を放送しながら曲の合間に、
その日のコーナーを編集するような事もあります。
本当はこれではいけないのです。
準備万端整えて番組に臨むのが本当です。
反省・・・。

そして3時間30分はアッ!と言う間に過ぎ去り、
今日も番組は終わってしまいました。
本当に3時間30分は短い。
なんなら土曜日午後から『スタンド・バイ・ミー』と言うタイトルで、
第2部を放送したいくらいです。
番組が終わった直後は、さすがにちょっと疲れますが、
午後からになるになると、
またリスナーの皆さんと番組を、一緒に作り上げたくなります。
週に1度。
1年間でも、52回しかリスナーの皆さんと番組で出会えないのは残念です。
とは言え、僕の本職はパーソナリティーではなく、
エフエムとおかまちの営業マン。
営業の仕事を頑張らねばなりません。
パーソナリティーや、ラジオDJは世を忍ぶ仮の姿(古い!)ですからね。

さて、昨夜消防団の会議があり出席しました。
その帰り、ある若い消防署員の方に声をかけていただきました。

『佐藤さん、スナッフィー号見せてください。』

スナッフィー号とは、僕の愛車ホンダ・ベンリー50。原付バイクに元カノがつけた名前です。

『よく僕のバイクの名前がスナッフィーって知ってますね。』
『ええ、だって”佐藤のつぶやき”読んでますから。』

びっくりしました。
その隊員さんとは、今まで消防団の活動の時に何度が会っていましたが、
まさかラジオを聴いていて、この”佐藤のつぶやき”まで読んでくださっているとは・・・。

『これがスナッフィー号ですか。』と、僕のバイクを覗きこんでいます。

※ちなみにこのスナッフィーと言う名前は、
このバイクを買った当時付き合っていた彼女が、
ムーミンのスナフキンが大好きで、
僕のバイクにスナフキンからとってつけてくれた名前なのでした。
バイクのフロントにシールでSNAFFYと名前が書いてあり、
剥がそうとしても剥がれない為、
そのままの呼び名となっているのです※

隊員さんは、まだ20代くらい見える若い隊員さんです。
この仕事をしていてありがたいのは、
41歳のオッサンである僕みたいなオヤジの話を、
若い人達が聞いてくれるところです。
普通、なかなか若い人は、
僕みたいな41歳のオッサンの話は聞いてくれないでしょう。
それが、エフエムとおかまちで話しているおかげで、
こうやって話しを聞いてくれる。
本当にありがたいことです。
そして、彼もまたいろいろな話しをしてくれました。
男女を問わず若い人との交流は、
本当に勉強になるものです。

僕は放送までの1週間を、
サラリーマンとして、皆さんと変わらない日々を過ごしています。
その間にあった出来事(嬉しい事、辛い事)や、
出会った人々からスポンジが水を吸うように、
いろいろな情報や、僕自身が感じた事を吸い取り、
今度は、土曜日午前8時に、
水の溜まったスポンジを絞るように一気にマイクの前で吐き出します。
よくリスナーの皆さんに

『3時間30分もフリートークできますね。』

と聞かれますが、
1週間も溜めに溜め込んだモノを、
3時間30分で吐き出すのは、それほど難しいことではありません。
皆さんだってそうでしよう。
考えてみてください。
1週間のオシャベリした時間は、
トータルすれば軽く3時間30分は超えるはずです。
僕はそれをたまたまラジオでやっているに過ぎないのです。
とは言え、一応公共の電波ですから、
ただのオシャベリとはいきません。
そこには、僕なりのコダワリ、
公共放送としての責任を踏まえたトークを心がけています。

ラジオパーソナリティーと言う仕事は、
なんでもかんでも話せば良いと言う職業とは違います。
一般的な常識を持ちながら、
その上でいろいろな視点で物を見て話す。
しかし、奇をてらうわけでなく、
美しい物を美しいと感じる心を持ち、
その美しさを言葉で表現する職業だと思っています。
ラジオパーソナリティーになるのに、
特別な能力は必要ありません。
アナウンス能力は、努力次第で向上します。
しかし、心が捻じ曲がっていたり、
邪悪だったりしたら、ラジオで話すことはできないでしよう。
顔の無いラジオは、声だけでその人間が現されます。
であるからこそ、言葉(言霊)は、
心から発信され、マイクを通して電波に乗り、
皆さんのラジオから、皆さんの耳、そしてその奥の心に届くものです。
もし、このブログを読んでいる方で、
将来ラジオパーソナリティーを目指している人は、
常識を理解し、そして感性豊かな心を育てください。

僕自身は、あまり感性豊かな心の持ち主ではないです。
だからこそわかるのです。
もっとっと感性を鋭く豊かにしたいと・・・。
そうすれば、もっともっと楽しいトークができるようになるばすだから・・・。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!



 『笑顔の力』 - 2007/09/23(Sun)

今日も午前中仕事で会社に行き、
午後からは塩沢の今泉博物館にある、
ドッグランに愛犬の鈴(柴犬メス2歳)を連れて遊んで来た佐藤です。
さて、午前中会社に行く前に、
当間高原ベルナティオのクロアチアピッチに行って来ました。
昨日の番組で、リスナーのZさんに、

『クロアチアピッチで、クロアチア大使を招いて、子供達のサッカー大会があるので、見に来ませんか』

と声をかけてもらったので、
仕事前に行ってみました。
行ってみると予想より遥かに沢山の子供達が参加していて、
その盛り上がりビックリしました。
柏レイソルのサッカー教室も開かれていて、大盛上りです。

その中に、スタッフとしてリスナーのZさんもいました。
時々仕事先で会うZさんは、
いつもの笑顔で仕事をしていました。
僕にはそのZさんの笑顔が、
とても素敵に映りました。
どんな時でも笑顔で、仕事をするZさん。 時々仕事でお邪魔する時Zの笑顔に、 いつも清々しい気持ちにしてもらいます。 今日も午前中休日出勤の僕は、
Zさんの笑顔での仕事ぶりを見て、

『あぁ、しかめっ面で仕事するより、他人を清々しい気持ちにする笑顔で仕事をすることは、本当に素晴らしいなぁ』

と、思ったのでした。
三連休返上でも、笑顔で頑張るリスナーZさん。
僕も見習いたいと思いました。
Zさんの笑顔で、疲れた僕の心にも、
潤いと、栄養をいただきました。
笑顔の力は凄いですね。


 『イジメが残すもの』 - 2007/09/25(Tue)

今朝は、雨でしたが、
昨日は天気ももち、我家の稲刈りが終わりました。
親父とお袋と僕、そして犬の鈴。
山の田んぼに昼飯のおにぎり持参でやったら、
予定よりかなり早く一番大きな田んぼの稲刈りが終わり、
別の山の田んぼも午後3時には刈り上げ、
今年の稲刈りが終了しました。
しかし、運が良かった。
天候の運にも恵まれ、コンバインも故障もなく動き、
一日で終わることができました。
農家をやっていない人はわからないと思いますが、
最近の稲刈りは手刈りではなくコンバインが中心。
コンバインはとても便利な機械ですが、
雨が降っていたり、晴れていても朝露が残っていたりすると、
案外すぐに詰まってしまって、稲刈りができないのです。
昔、手刈りをしていた頃は、雨でもなんで稲刈りをしたのですが、
コンバインが支流の昨今は、晴れないと稲刈りができなかったりします。
そう言う意味では、雨の予報もあった昨日の天候はラッキーでした。

さて、あるリスナーさんからこんな質問を受けました。

『佐藤さんは自分の魅力に気づいていますか?』

そう質問してくださったリスナーさんは、
僕の人間くささを魅力の1つに上げてくださいました。
ありがたいことです。

しかし、そこでハタと考えました。

『自分の魅力とはなんだろう?????』

まったく今まで考えもしないことでした。

『自分の魅力・・・。』

僕自身は、生まれてから41年間、自分に魅力があると思ったことがないのです。
考えてみたら、そう思うに足りる理由がありました。

皆さんはイジメをしたことがありますか?
僕は中学生の頃凄くイジメられましたし、
逆にイジメてしまったこともあります。

大人になって
『僕は子供の頃イジメられていました。』

と言う人は、そんなにいないと思います。
イジメられていた事を、心の奥に隠してしまう人が多いと思います。
イジメを克服して強く生きている人も多いでしょう。
僕もイジメられた経験を克服して生きている1人です。
しかし、完全に克服したか言うとそうではありません。
今の僕の人見知りや、大勢での飲み会だと気を遣ってしまい楽しめないというところや、
同級会にほとんど顔を出さない。
(出せないと言ったうが正確ですね)
それに疑い深く、人を信用するまでにちょっと時間がかかる。
(これはダマされる事がないので、助かっています。)
とか、このブログにも書いたのですが、
女性を紹介される前に、会うのが憂鬱になり断ってしまうとか
リスナーさんとおぼしき人に手を振られて、
恥ずかしくて逃げてしまったり・・・。
というのは、イジメが残していった影響です。

社会人となり、年齢も41歳になった男が、
こんなことを公表するのは、
ある意味カミングアウトかもしませれんが、
最近起きている”イジメが原因による子供達の自殺”をくい止める意味でも、
僕自身の体験と、後遺症に苦しむ日々を書きたいと思います。
これを読んだ人は、自分自身も、
自分に子供がいる人は、自分の子供がイジメの被害者にも、
加害者にもならないようにしてほしいと思います。

中学生の頃、僕は性格が今よりもっともっと悪く、
本当に学校中で嫌われていました。
どれくらい嫌われていたかと言うと、
陰口を言われるのは日常茶飯事。
『気持ち悪い』とよく言われました。
僕が廊下を通ると息を止める(同じ空気を吸いたくないと言うより、僕の吐く息を吸いたくないようでした。)
僕が歩いた跡は、足跡を避けて通る。
体が大きかったので暴力を受ける事はなかったのですが、
無視されることは日々のことでした。
毎日、毎日僕はクラスで自分の存在を消して生きていました。
ですから、むしろ無視されるくらいは、
『気持ち悪い』と言われるよりは、
数十倍マシだったのです。
その頃に思いました。

『本当の孤独は、独りの時にはやって来ない。大勢の中で感じる孤独が一番怖い』

ですから僕は、
20歳の頃まで、自分を”バイ菌”のように汚い存在だと思っていました。
東京に出て、僕に平気で触れる人がいる度に、

『この人は、どうして汚い僕に触れる事ができるのだろう?』

と真剣に思ったものでした。

イジメとは、そんな風に1人の人間を、
『自分はバイ菌だ。』
と信じこませてしまうものなのです。

そして、中学生の頃は、
街を歩いていて僕を嫌う人を見かけると、隠れてしまい。
その人が何処かに行くまで、
1時間でも、2時間でも動けなくなっていました。

そんな出来事は、もう26年以上前の出来事。
26年と言えば四半世紀と表現されるくらいの昔話です。
それでも、あの頃の辛い思い出は、
鮮明に覚えていますし、
克服したと言っても、やはりまだまだ僕の心の奥底を蝕み続けています。

もちろん、今思えばイジメた人だけが悪いのではありません。
僕にもそれなりの理由があったのでしよう。
ただ、イジメはその人の人格も人権も無視して行われる事が多いです。
人として生きる事を否定されたら・・・。
それは辛い事です。

大人になれば、世界は広く、
いろいろな価値観があり、
その場所でなくても、生きていくことは可能と知り、
自分自身で道を選び違う世界で生きていくことができます。
そうやってね多くの人は、イジメられた経験を克服していけるのです。
でも、子供達は違います。
子供達はその場所(学校や地域)から自分の力で出て行くことはできないのです。
ですから、イジメられている子供に、
大人の価値観でのイジメ克服を話しても意味はないのです。
まず大人が知らなければならないのは、

『子供にとっては、学校や地域が世界のすべてなのです。だから、学校や地域でイジメられたら、それは世界中から非難を浴びるも同じなのです。』

もし、大人である僕達が、
世界中から非難されたり、嫌われたりしたらどうでしょう。
果たして生きていけるでしょうか?
そう考えたら、イジメと言うものが、
”子供達にとって死を選ぶほど辛い事だ”
と言うことがわかってらえるのではないでしょうか?

イジメと一言で言ってしまいますが、
イジメが、ある男の人生にどれくらい影響を与えてしまったかがわかっていただけたでしょうか?

もちろん、イジメたほうは忘れていることでしょう。
しかしたら、アナタが何十年も前にイジメ、
自分自身が忘れているようなことで、
一生、誰かが苦しんでいるかもしれません。

イジメとは、そういう残酷なものだと言うことを知ってください。

イジメが残すものは、誰かを一生苦しめ続けます。

そして、僕がイジメてしまった人たちに、
心から謝りたいと思います。

イジメをなくすことはできないかもしれません。
でも、一番大切なのは、

『イジメは無いと目をつぶるのではなく、イジメが起きた時にどうすればよいかを、考えておくことが大切だし、子供達にイジメの悲惨さを伝え、教えていくことだと思います。』

こんな事を公表するのは、
僕自身のこれからの生活に相当なリスクを背負わせる事になるかもしれませんが、
それで、これからの子供達のために、
皆さんに話しておきたいと思ったのです。

こんな事を考えさせるキッカケをくださった、
質問してくれたリスナーさんに感謝したいと思います。







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