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 『あけましておめでとうございます』 - 2008/01/01(Tue)

あけましておめでとうございます。
本年もエフエムとおかまちと、
佐藤広樹をよろしくお願いいたします。

さて、昨夜11時〜深夜0時30分に放送した
年越し特別番組『今夜はChoo-Chooナイト』はお聴きいただけましたでしようか?
今回初めておこなった、スタジオ前の福引き大会。
ラジオをお聴きになった多数のお客様がお越しとなり、大盛況でした。
103個用意した福引の景品も放送終了後の午前1時には、
全部無くなってしまいました。
僕は諏訪神社に中継に出ていたので実際には見ていないのですが、
スタジオにいたスタッフに聞くと、

『今までスタジオ前に、こんなに人が来たのを見たことない!!』

とビックリしていました。
福引き担当の総務経理の竹内君などは、
2時間でスッカリ喉が枯れていました。
大雪でもあり、それほど人が来ないのではないか???
と心配していたスタッフ一同、嬉しい悲鳴となりました。
司屋さんの食事券5,000円や、
お食事処の食事券、温泉施設の入浴券、美容室のシャンプーや頭皮ケアの無料券、スキー場リフト券、
ワイン、雑貨の福袋、小物、縁起の良い開運セットなどなど・・・その他多種類!!
本当に十日町市内の企業、商店、団体の皆様からご提供いただきました。
福引きをしに来てくださった皆様、
景品をご提供いただいたスポンサーの皆様、
本当にありがとうございました。

さてさて、私佐藤は元日の朝7時30分から、
こうやって出勤しております。
正月休みと言えど、
道路交通情報を放送する為です。

昨日から僕のハードスケジュールは続いています。
朝8時30分に出社して、
交通情報を読む為に出勤していた高野さんと、
午前中、中継機材の電波チェックを行い、
一旦家に帰って夜9時に皆でスタジオ集合。
午後11時からの年越し特番の準備にかかりました。
そして本番・・・。
僕は二年参りが行われる諏訪神社からの中継でした。
昨年は会社の"おみくじ"を佐々木さん、根津さんが引き、
2人とも「末吉」・・・。
そこで僕も引きに行かされて、
やっぱり「末吉」・・・。
と情けない末吉3連チャン!!
でも今回は「大吉」を引き当てました。
今年は良い年になりそうです。
喜び勇んでスタジオに駆けつけて、
早見さん、佐々木さん、高野さん、富田さんに見せると、

『本当だったんだぁ。大吉って言うから嘘だと思ってた。』

と皆が言いました。
新年早々嘘なんかつきますか!!

そして・・・特番を終え、機材の片付けをして、
皆がスタジオを出たのが午前1時45分頃だったと思います。
家に着いて寝たのが、午前3時・・・。
今朝起きたのが6時30分・・・。

いやぁ〜新年からハードです。
眠いZzzzzzzzzz。。。。。。。。
今年もこんな調子で始まってしまい、
どうなるのでしょう?????
恐ろしい・・・・・。


さて・・・。
ここからは追悼の文章となります。

実は、昨年12月30日、
当社の役員Oさんが、交通事故で亡くなられました。
Oさんはとても優しい人でした。
開局以来、僕の記憶にあるOさんはいつも笑顔でした。
明るくて、楽しい事が大好きだったOさん・・・。
亡くなられる3日前の12月27日。
会議でOさんに会った時も、
笑顔でしたね・・・。

『良いお年を』

とお話ししたのが、最後となってしまいました。
本当に笑顔が素敵で、
とても優しくて、
いつも僕達スタッフのことを気遣ってくださいました。
忘年会の時も、

『最近、皆の”○○くれる”くれるの使い方が、気になるんだよね。スタジオに来てくれる・・・とか・・・メッセージをくれる・・・とか。あれは”来てくださる”とか”メールをくださる”とか・・・そう言う話し方ができないと一流のアナウンサーにはなれないよ。』

と、僕達のアナウンスについて優しくアドバイスしてくださいました。
僕のOさんに関する想い出はすべて笑顔なのです。
突然の別れで、僕は悲しいです。
せめてもう一度、はにかんだ優しい笑顔が見たかったです。
昨夜の年越し特番は、
天国で聴いてくださったでしようか?
放送前にスタッフ一同

『Oさんは、楽しい事が大好きな人だったから、今日の特番は楽しい放送にしよう。』

と全員で誓って放送に望みました。
Oさん・・・。
これからも僕達を見守ってください。
今まで、本当にありがとうございました。
これからも楽しい放送をしていきます。

Oさんのご冥福を心よりお祈りいたします。



 『イチロー』 - 2008/01/03(Thu)

おはようございます。
今朝5時起きで、
車庫の前の除雪をしてきた佐藤です。
会社のデカイ車を休み中預かっているので、
我家の2台入る車庫には入らず、
(我家は2台車があります)
我家の1台を車庫横に出している為、
普段は車庫前だけで良い除雪が、
車庫の外に出している車の所もやらなければならず、
なかなか時間がかかります。

さて、昨夜NHKの番組『プロフェッショナル』に、
マリナーズのイチロー選手が出演していました。
観た方もいるのではないでしょうか。
やはりあそこまで超一流のプロ野球選手は、
大リーグでもそういませんから、
まさにプロフェッショナルな話しが聴けました。
僕が一番共感を持って聴かせていただいたのは、

『プレッシャーを技術で乗り越える』

と言うイチロー選手の哲学でした。
他人から見たら、
なんなくヒットを打つように見えているイチロー選手が、
実は『打って当たり前』と言う周囲のプレッシャーに悩み、苦しみ、
そのプレッシャーを技術で乗り越えようとしていた。
僕は以前にもこのブログに、

『イチロー選手や松井秀樹選手だって、他人から見たら羨ましい人生に見えるかもしれないけど、本人にしてみたら、大変なプレッシャーと苦しみの中で生きているはずだ。それはイチロー選手や、松井秀樹選手になってみないとワカラナイ』

と言った内容の事を書いたけど、
やはりそのプレッシャーや苦しみは、
本人以外はワカラナイものなのです。
そしてイチロー選手は昨年のシーズンを振り返り、
こんな事を語っていました。

『2006年までは、そのプレッシャーから逃げる事で、リラックスする時間を作り年間200本ヒットを打ってきた。でも2007年は、どうせプレッシャーがかかるんなら、そのプレッシャーに向かってやろうと思った。逃げて打った200本と、向かって打った200本は、僕の中では全然違う重さがあります。』

本当に凄いヤツです。
尊敬してしまいます。
もちろん僕はイチロー選手みたいな凄いヤツではないけれど、
一見楽しそうに見える僕達エフエムとおかまちの仕事(ラジオ局の仕事)も、
楽しい番組を作る為の努力とプレッシャーはあります。
それを乗り越えて日々放送をしています。
今年はイチロー選手を見習い、
プレッシャーから逃げずに生きて行こうと思います。


 『ロケット・スタート』 - 2008/01/04(Fri)

おはようございます。
今日からエフエムとおかまちも本格的な始動です。
朝の番組は今日の担当の富田さんに、
月・火担当の高野さんが加わっての放送です。
今2人とも元気に喋っています。
昼は今日担当の大手さんに、
リポーター・ネッツこと、根津さんが加わっての放送。
夕方の番組は今日担当の山アさんに、
早見さんが加わります。
特にこの夕方の番組の山ア&早見の2人のコンビは、
開局以来始めて放送でカラムのではないでしょうか?
華やかな女子アナ競演の今日ですが、
明日のスタンド・バイ・ユーは男クサクいきたいと思います。
ゲストは十日町市の路上ミュージシャン・ステレオ君。
そして、録音でコグチ@コジマ君も登場。
プラス!昨年秋の入社し、
まだ少ししかラジオに登場していない新入社員の井口君も登場です。
土曜日は男の曜日となり、
渋く!カッコ良く決めていきます!!

さて、正月休みも終わり、
今日から本格的に2008年がスタートしたのですが、
今年くらい僕が気持ちがロケットスタートしている年も、
過去にない気がしています。
と言うのも、12月29日(土)の放送終了後から今日まで、
年越し特番準備や、特番放送。
1月1日の道路交通情報放送。
昨日の放送機材の片付けなど・・・。
毎日ちょっとづつ仕事を続けていたので、
いつもの年のように休みボケしていないのです。
今日からすでに全快モードに突入しています。

暮の年越し特番で諏訪神社で会社代表で引いた"おみくじ"で、
なんと『大吉』を引き当て。
個人的に引いた"おみくじ"で『吉』を引き当てました。
これで今年が悪い年になるばすがありません。
と言うことで、
今年はもうロケット・スタートを切った佐藤でした。
今年は走りまっせー!!!!!!!!
では明日の朝、スタンド・バイ・ユーでお会いしましょう!!



 『男まつり』 - 2008/01/05(Sat)

今日のスタンド・バイ・ユーは、
男性だけの"男まつり"でした。
ゲストは十日町のストリート・ミュージシャンのステレオ君。
そして、昨年秋に入社した新人・井口君。
ステレオ君には歌を一曲歌ってもらい。
井口君には今年のサッカー界を解説してもらった。
そしてインタビューも十日町のストリート・ミュージャンのコグチ@コジマ君だったので、
まさに三時間半男だけの番組となりました。
とは言え、途中からやはり十日町の女子中学生ストリート・ミュージシャンのリトルリングのカナちゃんも飛び入りして、
結局、男まつりも途中から女子も参加となりました。
この、良い意味のいい加減さが、
この番組の良さでもあります。
普段、女子アナが沢山の職場で、
これだけ男子が集まってのトークは、
開局以来初でしたが、
やっぱり男性だけの番組も良いものですね。

ステレオ君のオリジナルの曲も良かったし、
井口君のサッカー解説も、
なかなか判り易くて面白かった。
(井口君は十日町FCの現役のメンバーなのです。)
時々はこんな男だけの番組を放送するのも良いかもしれません。
なにせ、普段女性の多い職場ですから、
男性同士のトークは結構貴重だったりするのです。
それに、お互いが違う分野の話題を持ってもトークは楽しいですね。
業界の知り合いや仕事関係だと、
どうしても話題が偏ってしまうので、
これからも違う分野の人に番組に登場してもらいたいと思っています。
今年の第1回目をのスタンド・バイ・ユーを終えて、
そんなふうに考えています。
番組が始まってもうすぐ2年・・・。
3年目は、もっともっと楽しい番組を作っていきたいと思います。

さてさて、今年僕はとにかく身体を鍛えたいと思っています。
今年の夏で42歳となります。
体力的にも健康面でも、
身体を労わらねばならない年齢となってきました。
まだまだこれから頑張っていかねばなりません。
そのためにも、病気にはなれないのです。
これからも、好きなラジオパーソナリティーの仕事を続けていくためにも、
健康が一番ですから。
心と身体の健康があってこそ、
この仕事を続けていけます。
そのために、今年は身体を鍛えます。
ダイエットをする気はないのです。
無理にダイエットをしても、
身体や心に負担をかけてしまうので。
健康になったついでに痩せたらラッキーですが、
ダイエットではなく、身体を鍛えて健康体になるのが、
今年の僕の目標です。
すべては、楽しい番組を作りつづけていく為に・・・。
僕なりのプロ意識の表れです。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!


 『2年半ぶりの・・・。』 - 2008/01/08(Tue)

一昨日の日曜日は、
朝からクロス10で行われた十日町市消防団の出初式に参加し、
そのまま地区消防団の宴会に出席。
しかし、午後から溜まった仕事を終わらせる為、
お酒は飲まず、宴会終了後消防団の制服のまま、
会社に来て仕事をしていました。
どうしても月曜日(昨日)までに終わらせなければならない仕事があったからです。

そして昨日、僕は朝から上越市にいました。
昨年暮から時々書いている"人生のケジメ"の為、
会っておかないといけない人がいたためです。
このことについては、いずれ書くとして・・・。

その後、エフエムとおかまちに勤める前に、
自分がやっていた店があった、
新井ショッピングセンターCOA(旧新井市)に行って来ました。
お世話になったショッピングセンターの人達に新年の挨拶をするために。
店を閉じて2年半が経ちました。
お世話になった人達は皆元気でしたが、
所々、店員さんが入れ替わってしまい、
会うことのできない人達もいました。
それでもショッピングセンターの中を、
店を一軒、一軒尋ねて挨拶をしていると、
懐かしい日々が思い出されました。
そして、今は中国式マッサージ店になっている、
元の僕の店があった店舗に行ってみたのです。
退店してから、このお店には入りませんでした。
僕が店をやっていた頃は、
壁もドアもないスペースでしたが、
今はマッサージ店の壁とドアができていたからです。
店員さんに挨拶をして、
店内に入れていただきました。
2年半ぶりに自分の店だった場所に立つことができました。
壁に僕がつけてしまった傷もそのまま残っていました。
懐かしく床を踏み、天井を見上げると、
あの辛く苦しい日々が蘇ってきました。
僕は全力で店を経営していました。
でも、失敗し、店は閉店せざるを得なくなってしまいしまた。
でも、まったく悔いはありません。
それは本当にやるべきことを全力でやって負けたからです。
ずっとそう思ってきましたし、今もそうなのです。
でも、やっぱりこの場所に立つと、
思い出す事は沢山ありました。
とは言え、それは想い出です。
これからは前を向いて生きていかねばなりません。
そのために上越市まで来て人に会い、
その帰りに妙高市(旧新井市)まで来て、
お世話になった人達に挨拶をして、
2年半ぶりに元の自分の店に寄ったのです。
これで前を向けます。
僕自身の人生をスタートできるのです。
今年の前半は、僕の人生にとっての正念場です。
春以降、笑って生きてゆくための人生最大の正念場となります。
来年の今頃、今僕に起きている出来事を、
このブログで笑って語れるように頑張ります。
ですからこのブログを読んでくださっている皆さんも、
苦しみや困難にぶつかっても、きっと乗り越えられると思うので、
お互いに頑張りましょう。
僕も弱い人間でずっと逃げていた事・・・。
目を逸らしていた事があります・・・。
でも、いろいろな人の支えで乗り越える決心をしました。
頑張ります!!

"闘う相手は、過去の弱い自分"です。


 『法律』 - 2008/01/09(Wed)

こんばんわ。
自宅に帰りリラックスしている佐藤です。

今回、このブログを書くにあたり、
誤解してほしくないのですが、
僕は感情的にこれから書く内容を、
書いているのではありません。
そこを理解していただいた上で、
お読みくださいm(__)m
それは昨日行われた、福岡の子供3人が亡くなった交通事故の裁判です。
判決は、検察が主張した危険運転致死傷罪ではなく、
業務上致死傷罪。
検察側は25年を求刑。
判決は7年6ヶ月…。
事故を起こし、
子供3人を救出せず、
1時間後にやって来て、
アルコール量が少なくなれば、
24年から7年6ヶ月となる。
オカシイです。
これは逃げ得です。
こんな判決がまかり通るなら、
これからは交通事故を起こしても、
怪我人を救出せず、
逃げたほうが、
刑が4分の1になる。
これは「逃げ得」以外のナニモノでもありません。
なんだコリャ!
危険運転致死傷罪って法律は、
いったい何の為の法律なのか?
あっても使われない法律…。
これは地下鉄サリン事件の時の、
破防法と同じです。
一般市民が多数犠牲となったテロ事件でさえ、
破防法は適用されなかった。
何の為の法律か?
適用されない法律なら、
そんなモノは無いのと同じ、
法律があるなら、
きちんと運用してほしい。
こう言う判決が、
法曹界と世間のズレなのではないだろうか?


 『10年周年』 - 2008/01/12(Sat)

今日は十日町市のストリート・ミュージシャン、
コグチ@コジマ君にゲストで来ていただき、
生歌2曲(オリジナル曲)を歌っていただきました。
なかなか評判も良かったのでした。
なんと言っても今日はメッセージが普段の倍近くきたので嬉しかったです。
来週も十日町市のストリート・ミュージシャンの誰かがゲストになるようです。
そして、十日町市の演劇人もゲストでやって来てくださる。
普段、1人で番組を3時間30分放送しているので、
ゲストが来る時は嬉しいです。
来週もメッセージをフリーテーマでお待ちしています。

今日、あるリスナーさんからこんな質問をいただいた。

『番組を放送する時にプレッシャーはかからないのですか?』

番組内でも答えたのですが、
プレッシャーは全然かかりません。
以前にもこのブログで書いたと思うのですが、
僕は毎週土曜日の番組を放送している3時間30分が、
一番リラックスできる時間なのです。
他の何事も考えず、
放送に集中できる時間は、
何にも変えがたいくらいの楽しい時間です。
ですから、プレッシャーはまったくないです。
プレッシャーどころか、
リスナーの皆さんと出会える時間は、
僕にとって至福の時間です。

さて、考えてみると、
僕がこのラジオの世界に入って、
今年で10周年となります。
僕が32歳にもうすぐなろうとしていた10年前の春に、
上越市にFM-J 76.1MHz(エフエム上越)さんが開局しました。
そして、当時上越で劇団をやっていた僕も、
たまたまFM-Jさんの八木アナウンサーと知り合って、
(八木アナは僕のFM-J時代の番組のディレクターでした。)
3ヶ月間の約束でボランティアとして10分番組を始めたのが、
この業界に入るキッカケでした。
3ヶ月間のはずが、
が気がつけば5年間番組を続け、
最終的には10分の番組は1時間番組になっていました。
自分で店を経営していた2年3ヶ月間はラジオから離れていましたが、
一昨年2月のエフエムとおかまちが開局してからは、
プロとしてラジオで喋っています。
ですから、実際は7年ちょっとのキャリアですが、
通算だとラジオDJ10周年をこの5月に迎えるのです。
早いものです。
あの日、FM-Jさんの事務所で八木さんに出会い、
FM-Jさんの局長の熊田さんに出会わなければ、
今の僕はなかったかもしれません。
本当に2人には感謝です。

そして、そんなことを思ったら、
子供の頃のある事を思い出しました。
スッカリ記憶から消えていたのですが、
昨日、フッと思い出したのです。
ラジオの深夜放送を聴き始めたのは、
小学校5年生の時、
松山千春さんの「オールナイト・ニッポン」月曜日でした。(正確には火曜日午前1時)
それからラジオの深夜放送が大好きになり、
ラジオのDJやパーソナリティが僕のヒーローでした。
思い出したのは、
ラジオのパーソナリティに憧れて、
当時我家にあった半径数十メートルほどの範囲に、
FM波を飛ばすマイクで、
近所の同級生の和彦と曜日と時間を決めて、
お互い交互に10分間ほどの番組を作って、
放送ゴッコをしていたのです。
番組構成は、
一応、オープニングトークがあり、
学校の話題があり、
当時流行っていた歌謡曲をラジカセのスピーカーに、
マイクをくっつけて放送し、
エンディングトークがある・・・。
と言うものでした。
僕のリスナーは和彦1人。
和彦のリスナーは僕1人でした。
たぶん、小学校6年生の夏頃だったと思います。
これが僕のラジオDJ初体験だったのかもしれません。
小学校5年からの夢、ラジオDJは32歳の時に叶えることができました。
そして39歳の時にプロのラジオDJになりました。
人生って面白いものです。
ずっとずっと夢を捨てずにいたら、
こうやってなんとか夢に辿り着くことができるのですから・・・。
僕はラジオDJになりたいと思って、
必死に努力をしてきたわけではありません。
むしろ、芝居や自分の店と言った夢を必死で追いかけていました。
しかし、結局は必死で追いかけた夢より、
子供の頃から捨てずに、
ずっとずっと持っていた夢には辿り着けたのです。
もちろん、ラジオDJとしてはまだまだ発展の途上の未熟者です。
もっともっと、聴いてくださる人達を楽しませるトーク力をつけなければなりせん。
同時に、コミュニティーFM局のアナウンサーは、
アナウンスも取材もミキサー操作も自分1人ですから、
番組を構成していくプロデュース力も求められます。
もっと・・・。
もっと・・・。
これからも聴いてくださる方がいる限り、
僕は頑張っていきます!!
今年の秋には、
松代地区と松之山浦田地区にも、
サテライト局(アンテナ)が建設されて、
この2つの地区でもエフエムとおかまちが聴いていただけるようになるのですから・・・。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!




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