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 『頑張ったエフエムとおかまちスタッフ』 - 2008/08/02(Sat)

只今、8月2日土曜日夜11時です。
先ほど帰宅して、シャワーを浴びて、
今ビールを飲みました。

オリンピックが近い訳ではないのですが、
有森裕子さんみたいに、
自分で自分を誉めたい気分です。
今日はエフエムとおかまちのスタッフ全員、
頑張りました。
僕的には、朝から昼までスタンド・バイ・ユーを放送し、
そのまま午後から消防県大会の、
式典リハーサルに出席。
意見発表のリハーサルをしました。
早見アナウンサーは、
この式典の司会の仕事で、
一緒に式典リハーサルに参加。
その頃、富田アナウンサーと、
高野アナウンサーは、
四ツ宮公園からの特番の為に、
総務の竹内君と、
猛暑日の中、機材を四ツ宮公園に搬入。
技術の長谷川さんと、
機材セッティング。
企画営業の井口君は、
四ツ宮公園で行われるビアビア夏祭りの企画運営に参加。
朝から準備に追われました。

その後、
消防県大会式典リハーサルも終わり、
早見さんは四ツ宮公園の現場ミキサーで、
四ツ宮公園入りし、
中継現場からミキサーの仕事をしました。
僕はスタジオミキサーで、
スタジオ待機。
その頃、富田、高野両アナウンサーは、
浴衣に着替えて、
ゲストとの打ち合わせに追われました。
井口君は、ゲストの十日町市出身で、
モノマネ女王・俵山栄子さんの迎えと、
打ち合わせ。
竹内君は、現場待機。
そしていよいよ、
午後4時30分、
特番スタート。
なんだかんだで、
特番が終わり、
僕は、JリーグvsKリーグの試合中継対応の為、
スタジオ待機。
スタジオ待機中、
天気予報、道路交通情勢を読みました。
井口君は、四ツ宮公園のイベントの仕切りとなりました。
そんでもって、
全員が頑張って、
特番もイベントも、
無事終わる事ができました。
で、今し方帰宅と言う状況です。

とにかく、全員頑張ったのです。

では…。


 『意見発表』 - 2008/08/04(Mon)

今朝は一時凄い雨でしたね。
今日は休みなのですが、
一昨日のビア夏祭り特番の後片付けに、
会社に行き、
その後、バイクで帰宅する時に、
あの凄い雨の中を走ってきました。
雨粒が大きくて、
合羽を着ていても、
雨粒が体に当たると痛いくらいでした。
とは言え、雨も気持ちイイと感じている佐藤です。

さて、昨日、十日町市で第59回新潟県消防大会が、
十日町市立西小学校で行われました。
その様子は、
朝・昼・夕方の十日町ニュースのコーナーで聴いていただけます。

で、実は僕も、
大会前の式典で意見発表をしました。
その様子は、十日町市消防本部のホームページで、
動画で見てもらえます。
興味のある人はご覧ください。
とは言え、顔はほとんど映っていないので、
ご安心ください(笑)

では…。


 『普通の感覚が一番大切』 - 2008/08/05(Tue)

このところ中学生の職場体験がとても多いです。
エフエムとおかまちができたことで、
放送局とかね放送業界、
またはアナウンサーやラジオパーソナリティーが、
子供達にとって身近に感じられるようになったのだろうと思うのです。
今日も市内の2つの中学校から7名の生徒さんがやって来ます。

僕達が子供の頃は、
ラジオ局のアナウンサーとか、
ラジオパーソナリティーと言うのは、
本当に雲の上の存在でした。
まさに憧れの職業。
実際にラジオ局の数も限られていましたから、
本当にそうだったんです。
でも今は違います。
コミュニティーFM局の数だけでも230局を超えました。
それにAM局、FM局の県域放送局や全国域の放送局。
インターネットラジオ専用局。
衛星放送専用のラジオ局。
などを加えると、
とんでもない数のラジオ局が存在し、
アナウンサーやラジオパーソナリティーの数は何十万人といるのです。

つまり・・・。
僕らの子供の頃と違い、
今の子供達にとっては、
アナウンサーやラジオパーソナリティーは、
まったく夢の仕事ではないのです。
現実的な就職先として考えてもらえる状況なのです。

先日、北海道函館の高校生からメールをいただきました。

『ラジオパーソナリティーになりたのだけれど、父親に話したら「あんな仕事は特別な人がやることだ!!お前には無理だ!!」と反対されたけれど、どうやったらラジオパーソナリティーになれますか?』

と質問をいただきました。
携帯電話でネット検索しているうちにウチの局を見つけたらしいのです。

僕は毎回職場体験に来る子供達にも言っている事があります。

『ラジオパーソナリティーにとって一番大切のは"普通の感覚を持ち続ける事"と"感動できる心を持ち続ける事"そして、その感動を誰かに伝えたい。と思うことです。』

そう、ラジオパーソナリティーにとって、
特別な能力は必要ないのです。
もし、特別な能力が必要だとしたら、
それは普通の人が普通に感じる事を、
普通に感じて、素直に言葉にする事だけです。
ラジオは、普通の人が普通に出演できるメディアです。
そんなラジオに、何か特別な能力は必要ありません。

それに、アナウンサーやラジオパーソナリティーには、
国家試験も国家資格、免許も必要ありません。
自動車運転免許証はれっきとた免許です。
アナウンサーになるより、
自動車運転免許を取るほうがとても大変です。
アナウンサーは医者や看護師、介護士、バスやタクシーの運転手さんのように、
人様の命に直接関わる事もほとんどありません。
保育士さんや、学校の先生のように、
人を育て教育していく事もありません。
会社の社長さんともなれば、
自分の生活だけではなく、
従業員の生活にも責任が及びます。

たしかに楽で楽しいばかりの仕事はないのかもしれません。
アナウンスの仕事もある意味大変な事も多いです。
でも、特別な資格や免許がないとなれない職業ではないのです。
実際に僕などは、最終学歴は高校だし、
アナウンサーになったのも39歳の終わり・・・限りなく40歳に近い年齢でした。
普通のオッサンが、普通の感覚でアナウンサーやラジオパーソナリティーをしています。

どうでしょう?
40歳を越えてもなれるのが、
アナウンサーだったりラジオパーソナリティーだったりします。
今、十代の子供達は、
僕なんかよりよっぽどアナウンサーになれるはずです。
それは、夢なんかじゃなく、
現実的な就職先としてラジオ局があるのです。
だってコミュニティーFMは、まだまだ増え続けているのですから・・・。

では・・・。



 『緊張しない方教えます』 - 2008/08/08(Fri)

なにやら今日北京オリンピック開会式との事。
テロなど何事も無く無事終わってほしいと願っている佐藤です。

さて、最近良く受ける質問に、

『佐藤さんはラジオで喋る時や、大勢の人の前で喋る時に緊張しないのですか?』

と言う質問を受けます。
一ヶ月ほど前には、
商工会議所青年部10周年記念式典と宴会の司会をさせていただきました。
200人〜300人くらいのお客様だったと思います。
今月に入ってからは、
十日町市で開催された新潟県消防大会の意見発表を、

やはり数百名の消防関係者や、県知事、国会議員、県会議員、市長、市議会議員なとの前で行いました。
正直、まったく緊張しません。
ラジオで土曜日話す時もまったく緊張しません。
むしろ、ラジオで話している時は、
家でゴロゴロしている時の次くらいにリラックスしています。

今でこそ、人前で話す時に、
あまり緊張する事のない僕ですが、
子供の頃、高校を卒業して東京で舞台役者をするまでは、
本当に"緊張しい"でした。
人前で話すなんてとんでもない!!
心臓が飛び出て月まで飛んで行くくらいドキドキして、
冷や汗が出るのに、
顔だけ熱くなり・・・。
最悪、気持悪くなるくらいでした。

だいたい、元々が人見知りで、内弁慶・・・。
東京で劇団の研究生となって、
芝居の稽古を受けるまでは女の子と話す事もできない状態でした。

じゃ、どうやってそのとてつもない"緊張しい"の僕が、
今は何百人の前でもまったく緊張しなくなったのか・・・。

『緊張しない方法』

を今日は書きたいと思います。



☆その@

『カッコつけようとしたり、上手くやろうとしない』

僕が一番心がけているのは、
人前で話す時に、
普段の自分以上にカッコ良くしようとはしないようにしています。
そして、上手くやろうとも考えません。
カッコつけようとか、上手くやろうとか、
とにかく普段の自分以上の事をしようとしても、
人間そんなに急に何かが上手くなることはありません。
何事も一度も失敗せずパーフェクトにできる方が奇跡なのです。
つまり確率的には、
どこかで失敗する確率のほうが高い訳です。
だから、自分の能力以上のモノを自分に求めない。
普段着の自分を表現する事・・・。
それが大事だと思うし、
その方が話しを聞いてくださる人にも伝わります。


☆そのA

『緊張を楽しむ』

大勢の前で話す機会は政治家でもない限り、
そうそうあるものではありません。
つまり、自分の人生にとって、
非常に貴重な体験なのです。
その時感じる感情や緊張は、
めったに体験できるものではないので、
緊張してきたら

『あっ!俺は今こんな感情の状態なんだ。』

とか・・・。

『あっ!俺は今こんなに緊張している。』

と、とても珍しい体験を楽しもうとすると、
なんだか緊張している普段とちょっと違う自分が可笑しくなってきます。
そして、この時に大切なのが、

『今日の貴重な体験を、誰かに話してやろう。』

と思う事です。
誰かに体験を話すには、
緊張している普段と違った自分を冷静に観察しなければなりません。
そうすると、精神の状態が緊張から冷静にシフトしていきますよ。



☆そのB

『失敗を笑い話にする』

これは"その@"と"そのA"の合わせ技です。
もし、失敗したらそれを友達などの会話の時の笑い話にしましょう。
いわゆる『ネタにする』と言う行為です。
そう考えると、
むしろ失敗したほうが面白い!!
と言うことに思考が向きます。

緊張する原因が『失敗したらどうしよう』だとしたら、
その逆に物事を考えれば、
おのずと失敗が怖くなくなります。



☆そのC

最後は・・・。

『準備や練習は納得できるまでする』

今まではわりと"いい加減"な感じに聞こえる事を書きましたが、
"その@"〜"そのB"までの精神状態に持っていくには、
準備や練習は自分が納得できるまでやる事が必要です。

『俺はこれだけ練習したんだから、もし失敗しても自分の力は出し切ったから納得できる。』

と思えるまで練習すると、
ある瞬間に良い意味で開き直れるのです。

以上が、

『佐藤広樹流、緊張しない方法』でした。

皆さんも試してみてください。

では・・・。


 『超えられた喜び』 - 2008/08/11(Mon)

おはようございます。
東京の妹のアパートで、
妹のパソコンを借りて、
このブログを書いている佐藤です。

さて、今回僕がなぜ東京に来たのかと言うと、
僕が昔上越で劇団をやっていた時の役者達が、
東京で演劇ユニットをやっていて、
今回も芝居が上演されると言うのでやって来ました。

その演劇ユニットの名前は

"ウラダイコク"

『ウラダイコク』で検索すると、
彼らのホームページに辿り着きます。

そのウラダイコクの芝居『QQさんの赤い鼻唄〜ウナギノボリの後悔〜』が、
東京荻窪の荻窪メガバックスシアターで上演されました。
そのウラダイコクの主宰で作・演出をしている如月せいいちろー(以下、せいちゃん)と、
役者でせいちゃんの相棒の雷時雨(アズマシグレ・以下雷クン〜カミナリ君〜)
が、僕がやっていた劇団サンフェイスの劇団員でした。
そして、当時高田高校演劇部(劇団ぎゃらんDO)にいて、
当時から交流のあった望月絢一郎(以下、モッチー)が出演していました。

昔の劇団員がやっている芝居なので、
遠慮なく書かせてもらうと、
前回の『山式』(ヤマシキ)と言う芝居は、
正直ツマラナイ芝居でした。
演技も正直最低でした・・・。
5年間活動した劇団サンフェイスから、
いろいろあってリーダーの僕が脱退して、
その後、劇団サンフェイスは1公演で解散。
メンバーはバラバラになりました。
その後彼らは東京に活動の場を移し、
僕は自分の店の閉店や、
エフエムとおかまちへの就職がありました。
昨年暮のウラダイコクの公演『山式』を観るまでの5年間は、
僕にも意地があり、
彼らにも意地があり、
絶対に芝居を観には行きませんでした。
しかし、5年経って時間の経過と共に、
そんな意地も無くなり、
観に行ったのでした。
そうしたら・・・。
ちょっとかなり辛い芝居となっており、
本当に心配になってしまいました。

しかしどうでしょう!!
今回の公演『QQさんの赤い鼻唄〜ウナギノボリの後悔〜』は、
とんでもなく面白かった!!

僕も一時期は"鬼の演出"とか"芝居の悪魔"と、
他人から言われた舞台演出家でした。
こと芝居に関しては、昔は厳しい事で知られていました。
正直、ここ数年観た芝居で、
心の底から『面白い』と感じる芝居はありませんでした。
その僕が本当に芝居に巻き込まれて魅入ってしまっていました。
せいちゃんの巧みな脚本と、
演出力には正直脱帽しました。
"粗探しの名人・佐藤広樹"も、
粗探しする暇も無い面白い芝居だったのです。

せいちゃんと出逢ったのはもう11年前。
当時、彼は上越教育大学の学生でした。
劇団サンフェイス旗揚げメンバーの彼を含め、
旗揚げの頃の役者達は、
徹底的に僕に芝居を叩き込まれました。
特にせいちゃんは、
稽古場で倒れるまで僕にシゴカレたのです。
稽古場からの脱走・・・。
遅刻の常習犯・・・。
泣き言の名人・・・。
当時の彼はそんな人だったのです。
でも、優しくて、役者としての可能性を感じさせる魅力ある人間でしたから、
当時から芝居仲間とお客さんには、
本当に愛されていました。
そんなせいちやんが、
今は立派にチームをまとめ、
劇作家・演出家として活躍していてくれる。
本当に面白い芝居を創ってくれている。
これは何より嬉しい事です。

昨夜は舞台が跳ねてから客出しの時に、
少し、せいちやんと雷クンに、
そんな感想を話しました。

僕は絶対に身内の役者を誉めないのです。
この11年間、せいちゃんを誉めた事はありませんでした。
それは、他人から観たら誉められる芝居や演技でも、
僕から観たらダメ出しがあるからです。
そんな僕も、
さすがに昨夜の芝居は、
ダメ出しはほとんどありませんでした。
(細かいところを突けばあるのですが、それは言うに足らないダメ出しですから。)
芝居が跳ねて、
大雨の荻窪から丸の内線に乗り、
霞ヶ関で千代田線に乗り換えて、
妹の住む亀有に着き、
東京に来たら必ず行く"餃子の王将"で1人生ビールと餃子で、
喜びを噛締めました。
それは・・・。

『超えられた喜び』

なのです。
もう完全に僕の負けです。
完全に超えられました。
かつてのダメダメせいちやんの姿はまったくなく、
そこで上演された芝居は、
極上のエンターテイメントだったのです。
いくら厳しい僕でも、
これは認めざるを得ません。
キャスティングは、
このメンバーならこれしかないだろう。と言うキャスティングがなされ、
前回から引き続き出演している役者さん達も、
演技力が増していました。
雷クンやモッチーも、
成長し、細かな演技ができるようになっていたし、
何より2人とも、他の役者を引っ張る演技をしていました。
他のキャリアの浅い役者を演技で引っ張るには、
演技に余裕がないとできないのです。
雷クンもモッチーも十分その役目を果たす演技をしていました。

とにかく3人とも成長し、
逆に僕が彼らの芝居で教えられる事が多かったのでした。

超えられる事がこれぼと嬉しい事とは思いませんでした。

如月せいいちろー、雷時雨、望月絢一郎、
これからも面白い芝居を創り続けてくれ。

では・・・。


 『イベントMC』 - 2008/08/14(Thu)

会う人、会う人に・・・。

『焼けてますねぇ』

と言われる佐藤です。

どうして日焼けしたのかと言うと、
それには2つの理由があります。
まず一つ目は、『天地人ウォーク』の下見で、
山の中に立て続けに2度も入ったからです。

そして、もう一つは、
イベントのMCの仕事をやったからです。

昨日は旧松代町の星峠地区で、
地区の運動会の司会をしてきました。
これはただの地区運動会ではなく、
日本大学芸術学部の鞍掛准教授と生徒さん達が、
来年の「大地の芸術祭」に向けて、
前回の大地の芸術祭で評判を呼んだ「脱皮する家」に続く作品を、
星峠で作っているのです。
その日大芸術学部の生徒さん達が、
星峠の人々に感謝の気持を込めて行ったのが、
学生達による手作りの運動会なのです。
本当に手作りのアイディアいっぱいの運動会でした。
ただ競技をするのではなく、
さすがは日芸の皆さん。
村のお爺ちゃんお婆ちゃん達と一緒に版画を彫ったり、
全身の絵の具を塗って、
白いシーツにダイブしてアート作品を作ったりと、
和気藹々としたとても楽しい運動会でした。
その司会が僕だったのです。

運動会の司会と行っても、
ただ進行をすれば済むというものではなく、
会場の盛り上げから、
競技の実況。
そして審判までこなすのです。
3時間30分アドリブで喋りっぱなし!叫びっぱなし!!

そして今日は、
松之山の大厳寺高原(ダイゴンジ)のイベント、
「第22回・真夏の雪まつり」の司会でした。
このイベントの司会は、
昨年に続き2回目となります。
こちらのイベントは、
冬から貯蔵していた雪を敷きつめ、
真夏に雪を楽しんじゃおう!!と言うイベントなのです。
内容は、雪の上でのゲーム大会。
雪の上で裸足で綱引きや、
雪の上で裸足でのパン食い競争などなど・・・。
こちらも進行だけでなく、
盛り上げから競技の実況、
そして総てのゲームの判定を僕がやるのです。
言ってみれば、ゲーム大会の仕切り役なのでした。
こっちのイベントも3時間アドリブで喋りっぱなしでした。

そんなこんなで日焼けしているのです。

さてさて、そのイベントMCですが、
夏から秋にかけては、
エフエムとおかまちに仕事が沢山いただけるようになりました。
ありがたいことです。
やはり夏のイベントだと、
浴衣姿の女子アナへの仕事の依頼が沢山来ます。
正直、男性アナへの仕事はあまりありません。
ですから、今回の2日間のイベントMCの仕事は、
僕にとって貴重な経験の場となりました。

実は今回の2つのイベントような、
台本無しのアドリブだけで合計6時間30分のMCで、
ぜひ、試してみたいトーク術があったのです。
それは今年の津南祭りの会場でイベントMCをしていた、
FM新潟さんの某女性アナウンサーのMCでした。
FM新潟の某女性アナのイベントMCは、
正直本当に上手かったのです。
何が上手いかと言うと、
まるで普段の会話ようにリラックスして話しながら、
キチンと伝える事は伝えているのです。
まるでラジオで話しているかのようなMCだったのです。
たまたま取材で津南祭りに行っていた僕は、
取材をしながら某女性アナのMCに耳をそばだてて聴いていました。
短い時間でしたが、
そこにはイベントMCで必要なモノが総て揃っているように感じたのです。

そこで、僕は

『リラックスして肩の力を抜いてMCをする』

をテーマに2日間のイベントMCの仕事をやってみました。
そうすると以前よりずっと楽しいMCができたのです。
普段ラジオのマイクに向かって話しているので、
直接観客の喜ぶ顔が見えるイベントMCは、
ラジオとは違った面白さと、
奥深さがあります。
元々が舞台俳優だったのもあって、
やはりライヴは楽しいと実感しました。

昨日、今日と僕のMCに付き合ってくださった観客の皆様。
ありがとうございました。



 『大場久美子さん』 - 2008/08/16(Sat)

しかし、突然雷雨が来ますね。
今朝は、番組の仕込みをするために、
朝4時30分に携帯電話のアラームをセットしていたのですが、
今朝の凄まじい豪雨と雷で、
アラームが鳴る前に目覚めてしまいました。
と言う事で、
ちょっと眠い佐藤です。

さて、今日のスタンド・バイ・ユーには、
歌手で女優の大場久美子さんが生出演してくれました。
スタジオの前には30人〜40人くらいの人だかりでした。
なんだか皆さん、カメラや携帯電話を構えて、
スタジオのガラスに迫って来るので、
ちょっと不思議な光景でした。
もちろん僕を写真に撮る人は1人もいませんでした(笑)
皆さん、コメットさん(大場久美子さん)を撮影していのです。

大場久美子さんについて今朝ネットで調べていると、
僕はビックリする情報を入手しました。
それは・・・。

『なんと大場久美子さんは僕の大先輩だったのです』

何の先輩かと言うと、
僕が東京で所属していた劇団の大先輩だったのです。
僕がその劇団に入る十数年前に、
大場久美子さんは子役で入っていたのでした。
その劇団は本当に厳しい劇団でした。
1ヶ月でも早く入団した人は間違い無く先輩で、
年下だろうと先輩は先輩。
生意気だった僕は20歳で劇団の研究生になったのですが、
先輩の高校生の女の子の先輩に殴られながら芝居を覚えたものでした。
もちろん、劇団員になってからは、
先輩達とも仲良くなり、
親しくさせてもらいましたが、
それでも先輩と後輩の関係はキッチリしていました。
僕は、殴られたり、怒鳴られたり、物を投げられたりしながら芝居を覚えたのでした。
(当時はまだ、役者はそんな風に芝居を学んでいた時代でした。)
だから、例え子役でも大場久美子さんは僕にとっては大先輩なのです。
その大先輩がやって来るのですから、
普段は緊張しない僕も、
ほんのちょっとだけ緊張しました。

しかし、スタジオに入られた大場久美子さんは、
本当に気さくな方でした。
放送している時も、
CM中に雑談している時も、
まったく変わらずに同じ笑顔と、
同じ声のトーンで話してくれました。

スタジオを出られてからも、
集まったファン1人1人の求めに応じサインをし、
嫌な顔一つせずに写真を撮られていました。
なかなかのファンサービスでした。

と言う事で、
大場久美子さんはとっても良い人でした。
そしてとても魅力のある人だったのです。

さぁーて、来週の土曜日の午後は、
上越市の謙信祭です。
上越市のFM-Jさんに呼ばれていますので、
FM-Jさんの特番に出演してきます。
そして今度はGacktさん(ガクト)に会って来ます。

この夏は、
明和電機さんに会い、
大場久美子さんに会い、
そしてGacktさんに会うと言う不思議な夏です。

来週もHAPPY TUNEでヨロシク!!



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