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 『池谷モデル』

2010/10/21(Thu)

やっと、23日土曜日午前10時放送の『心に太陽を』の再編集作業が終了しました。
なにせ、4年前開局から5ヶ月目。
ドキュメンタリー番組など制作したことのない僕が、
初めて作ったのがこの『心に太陽を』の池谷地区取材の
ドキュメンタリー5分間2本でした。
願入地区取材の3本は早見アナウンサーが取材編集をしました。
本当に当時は必死でした。
新潟日報社と県内コミュニティーFM局10曲局の協同企画で、
当時の現場責任者だった故・矢口辰幸総務局長が、

『エフエムとおかまちは、県内コミュニティーFM局の中では、一番末っ子(県内10局目の開局)なのだから、我々が一番最初にやろう。』

と言い出し、
当時ラジオでの放送経験があった僕と早見アナに、

『池谷地区には国際NGO JENと言うNGOが来ていて、都会からボランティアの若者を連れてくるらしい。佐藤行って取材してこい。』

『願入地区は第3回大地の芸術祭へ向けて、女性達がレストラン(後の"うぶすなのいえ")を開くらしい。早見取材してこい。』

と号令をかけて、僕が池谷へ。
早見アナが、願入へ取材へ行ったのです。

とにかくドキュメンタリーなるものも初めて・・・。
しかも、先輩局9局配信(放送)
取材に2週間。
編集に1週間かけてつくったのが、
『心に太陽を』なのです。
あの3週間は本当にプレッシャーでした。
おかげて『心に太陽を』は、
翌年の放送業界のアカデミー賞とも言われる
ギャラクシー賞選奨を受賞しました。

なので、少し音にムラがあり、
そのムラの調整に手間取りました。

この『心に太陽を』には裏話があり、
実は新潟日報さんとコミュニティーFM局で企画した時のタイトルは、
実は『心に太陽』で、『を』はいらなかったのです。
なぜか僕と早見アナは『心に太陽"を"』だと思い込み、
放送が終わってから気がついたのでした(笑)

さて、そんなご縁で池谷地区にはその後4年間お世話になっています。
このところ忙しくてご無沙汰でしたが、
また今年の夏からちょくちょくお邪魔しています。

その池谷に、
東京から農業をしに通ってくる女性がいます。
女性の名前はSさん。
月に1度〜数度、池谷に来て農業をしているそうです。
Sさんは本当に自然や農業、
そして池谷の人々を愛していると言うのが、
1度しかお会いしたことはありませんが、
本当に良く伝わってきます。
それほど池谷の人々や、
池谷と入山を支える地元ボランティアの皆さんの活動が、
都会の若い人達にも支持されているのです。
最近は関口市長までもが、

『池谷地区は、都会との交流事業において、1つのモデルとなっている。』

と発言するほどです。

Sさんは声高らかに池谷の魅力を語ったり、
自分の池谷や農業への想いを騙ることはないけれど、
それでもこちらに伝わる気持があるのです。
都会に暮らす若い女性にも、
池谷は魅力的なのです。
Sさんにとっては、
池谷は本当の故郷になりつつあるように見えます。
Sさんばかりじゃありません。
ボランティア活動や企業研修で池谷を訪れ、
その後、個人で池谷に通う都会の若者達も多い。

関口市長が言うように、
池谷地区は都会との交流の『池谷モデル』となっています。

では・・・。


佐藤広樹



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